真夜中の鳥 (矢代) あとがき
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以前、noteに、結局影山は矢代のことをどう思っているのか、を考察した記事を書きました。
https://note.com/preview/n8651b33c5b77?prev_access_key=f4c8d36cb92630a26a5ca5e09104fce4
そのとき、影山は、実は矢代のことが最初から気になっていたが、矢代が抱える闇の濃さに恐れをなして、自分のその気持ちを封印してしまった可能性もある、ということに触れました。
そこでは、この先は二次創作の領域なので、ということで深掘りは避けたのですが、こちら側の可能性を掘り下げていくと結構面白いことになりそうだ、というのに気づき、じゃあ二次創作をやってみようか、という気になってしまいました。
ところが、いざ影山視点の話を書こうとすると、これがいきなりは書けない(笑)。それで、それじゃ先に矢代視点の話を、原作の「漂えど~」に沿って書いてみよう、と思い立って、書き始めたのがこの「真夜中の鳥」です。
まだ光が見えず、どこへ向かって飛んでよいのかわからない真夜中の鳥に、高校時代の矢代と影山を重ねてみました。なーんて、実は、毎回タイトルはかなり適当なんですが(笑)。真夜中は1日の始まりなので、ま、最初はそれでいいか、くらいな感じで。
で。
第5章まではともかく、6章以降でせっかくのヨネダワールドが台無しだ! と感じる方もいらっしゃるだろうと思います……。
ご批判は真摯に受け止めますが、ひとつだけ(いやひとつじゃないか)、言い訳をさせてください。
私には、あの「漂えど~」から、どうやって36歳の矢代さんになったのかが、どうしても想像できなかったのです(涙)。
本当に高校時代の思い出があれしかないのであれば、この人は一体どうやって、この苦しい生を生き抜いてきたんだろう? って。
私にとって、矢代さんの本質を表す言葉って、2巻の病院のベッドの上で影山に呟いた言葉なんですね。
「走馬灯っつーの? 良いことが一つも出てこねーの。あんだぜ? ひとつやふたつや……みっつや……よっつ……」
(ヨネダコウ「囀る鳥は羽ばたかない」2巻232P 大洋図書 )
これを見た時の私、文字通り床にひれ伏しました……(涙)
これだけ酷い目に遭ってるのに、手の中に、数えるほどの幸福の記憶を大切に握りしめて、自分にもよいことがあったのだ、と……(涙)
まさに、運命に左頬散々張り飛ばされて、なお右頬差し出す、みたいな。
どれほど運命に翻弄されても、あらがうでもなく、腐るでもなく、淡々と毎日を生きる。それでいて、ちゃんと、その歩みの中に、幸せの種を見出す優しさを持ってる。
それは、もともと、矢代さんが持って生まれた性質かもしれないけど、それが歪まずにあの年まで守られたのには、何か必ず理由があるはずだ、と思った。
そして、その理由として考えられるのは、やはり影山しかいなかったんですよ。
影山の何かが、矢代さんが持って生まれた美質を、あの年齢まで守り通したんだろう、と。
矢代さんは、自分の体を簡単に投げ出してしまいますが、それは本当に欲しいものを手に入れるためではない。同じ理由で、命も投げ出さない。
欲しいものを手に入れるために自分を切り売りすることをやってしまうと、魂が穢れてしまいますが、体の関係は楽しみと割り切って、それだけは絶対にやらなかった。
それは、やはり高校時代に、欲しいもの(=愛情)は、そういうことでは手に入らない、と、影山との関係を通して学んだから、だと思うんです。
影山が、自分の出来る範囲で、ちゃんと矢代さんに真剣に向き合ったから。
体も命も差し出さなくても、優しさを向けてくれる人がいる、ということを知ったからだと思うのですよ……。
たとえ、それが、自分の望んだ形の愛情ではなくても。
もうひとつは、影山が、矢代さんがヤクザになってしまった、と知ったときに、1発殴った、という原作の記述です。
「漂えど~」の中に書かれているような、お互いに少し遠慮があるような距離感の付き合いでは、殴るまでするようには見えなかったんですね。
影山が、自分より体格の細い矢代に暴力を振るうとしたら、それは多分、本当に腹に据えかねた何かがあったからなのかな、と思って、こんな形になりました。
あれだけ困ったら頼れと念押したのに、と裏切られた気分になったのかな、なんて。
もっとも、影山結構簡単に手出すから(久我のときも矢代さんに手上げてたし)、そこはあんまり掘り下げなくてもよかったのかもですが(汗)
影山を空手部にしたのは失敗だったかなー(^^;)<でもそうでもしないと、久我もノせちゃう喧嘩の強さの理由がわからない…
……そんなわけで、こんなエンディングになりました。
言い訳、おしまい!
虐待のトラウマについて。
二次創作とはいえ、書くからには、やはり虐待の後遺症の問題は避けて通れんだろうと思い、原作では敢えてうまくぼかしておられる矢代さんのトラウマの問題について、第3章で少し掘り下げることにしました。
原作では、性行為中に愛情を向けられると吐き気がする、という形で僅かに触れられているのみですが、あれだけ深刻な環境で育った少年が、それだけの後遺症で済むとは到底思えなくてですね……。いくつか追加で、あまり原作とかけ離れた形にならないようなトラウマを付け加えてしまいました。ただ、このうちのいくらかは、少年から大人になる過程で解消(または寛解)されたと考えています。そこには、やはり影山の存在が大きかった、というふうに、読めるように書けていれば良いのですが。
じいさんについて。
極力オリキャラは出さずにやろうと思っていたのですが、医学部に行った影山と同じクラスということは矢代さんも進学校または進学クラスにいたはずだ、ということになりまして。
塾とかはとても行けなかっただろうし、自力で勉強、となると、少なくとも子供時代に勉強への興味を育ててくれた大人がいないと難しいんじゃないか、と思い、一人だけオリキャラ出してしまいました。
小学校3年から性虐待を受け、母親にも守ってもらえなかった子供が、どうやって生き抜いてきたか、ということを考えたとき、どこかで良い大人に出会った経験がないと、なかなかあんなふうには適応できないだろう、と思いまして、そのへんもココに全部突っ込んであります。
あと、捏造設定として、矢代さん勝手にクォーターにしてしまいましたが、生粋の日本人では、やはりあの髪の色はなかなか出ないだろう、ということで(汗)。
(カラー見ると目の色もたぶん琥珀色ですよね)
矢代さん貧乏設定について。
原作で、1万円札を8枚まで数えたところは書かれているので、勝手に母親は毎月8万チョイを置いていく、と考えました(まさか2ヶ月に1回とかじゃないよな……?(汗)書き終わっといてなんだけど。。)
住む場所にもよるでしょうが、単身用ワンルームならともかく、たぶん世帯用の2LKくらいのアパートだと思うと、家賃と光熱費だけで6万円超えるんじゃないの? と思いまして…。あ、適当に、現在から遡って矢代さんは1982年生まれくらいかと思ってるんですが、そうすると高校生の頃は97~99年くらい、子供の頃から住んでいたアパートなら当時はバブルでしたから、もっと家賃高かったかも。
そうすると、残り2万円弱で、学費出して、教科書やら参考書やら買って、学校までの交通費も払って、そんなん食費ないやん! となりまして……。
当時はスマホはありませんでしたから(まあポケベルやPHSはあったけど、その辺には手出さなかっただろう)、その分の費用はないですけど、にしてもそれで生活って無理でしょ、、、ってことになり、あーこりゃパパ活で生活費補ってたな、って話になってしまいました……(汗)
矢代さんが金稼ぐの上手いのは、やっぱ、金で苦労したからだと思うんだよね。
歌オチについて(笑)。
たんに、ワタクシが古い昭和の人間で、自分が同人始めた頃に花盛りだった歌オチを思う存分やってみたかった、というのもありますが、そもそも、矢代さんがなぜ懐メロに詳しいのか、というのが、わからなかったのです。
普通は懐メロって、親が好きとか、そういう周囲の大人や年上の人間から入ってくるもんなんじゃないかと思ってて、親との関係が希薄で、とくに年長者との付き合いがあるようにも見えない矢代さんが、どうやってその界隈に触れることができたのか? というのが、ずっと疑問だったのですね。
まあ、寝る相手が知ってた、という可能性はあるかもだけど、ひたすら痛いSMプレイに興じててそんな懐メロ教えてもらえるような雰囲気にはとうてい見えなかったし。
というわけで、影山のお父さんにミーハーになっていただくことになってしまいました…(笑)
はっ、、、もしかして、三角さんが教えた?!(笑)
歌を多用したのにはもう一つ理由があって、あれは、いくつかは影山から矢代にあてた手紙だからなんですが、そのへんは、影山編に入ってから書くことにします。
使った曲が、もしかしたら出典が分かる人がいるかもしれないラインナップでして、白状すると、私が高校時代に大好きだったサークルさんが使っておられた曲です。家がクラシック音楽以外あまり流せない空気だったので、そういうことでもないと、J-Popsを知る機会がなくて。でも、おかげで、たくさんの名曲を知ることができました。
Womanだけは例外で、これは、最初から使うと決めてました。
矢代さんの中に眠っている女性的な感性が、影山に対して叫んでいる内容そのものだと思ったので。
ここに持ってくるのは、ヨネダ先生ご自身が紹介されていた菅野よう子の”beauty is within us”であるべきだろう、というご意見もあるかと思いますが、先生曰く「今現在は矢代の底の底に沈んだ感情」とのことなので、高校時代にはもう少し変質を遂げていたのかな、と思ったのと、ここではもう対象は母親ではなく影山だろう、と思ったので、こちらになりました。
性虐待が始まった年齢にもよりますが、小学校3年生というのはかなり早い部類に入ると思ってて、その頃にそういうことをされてしまうと、自分の性別への認識が曖昧になる、というのは十分あり得るかな、と思っています。その時代はまだ、なんのかんのいっても、親という一番近い大人の言葉が絶対ですから。
頭では自分の性を理解しているし、別に女になりたいわけでもないけど、ふとした拍子に感じる衝動や感性に、女性的なものを感じてしまって、表に出すのを躊躇してしまう、みたいなことは、今でもあるんじゃないかな、という気はします。
それにしても、昔は歌詞使うのもコワゴワでしたが、今は歌詞掲載OKのブログとかがあって本当にいい時代になりました…
よろしかったら、原曲きいてみていただけると嬉しいです。
(で、気に入ったら音源買ってね!!!とお願い)
浜田麻里「My tears」(作詞:浜田麻里 作曲:増田隆宣)
https://www.youtube.com/watch?v=ksj9LyFx0Aw
薬師丸ひろ子「Woman "Wの悲劇"より」(作詞: 松本隆 作曲: 呉田軽穂)
この話のみ、発表当時のイメージではなく、もっと薬師丸ひろ子が大人になってから歌ったコレのイメージで。
https://www.youtube.com/watch?v=56qIgzffiB4
SHOW YA 「祈り」(作詞:寺田恵子, 安藤芳彦 作曲:寺田恵子)
https://www.youtube.com/watch?v=nSJd5M3teuM