Song of the birds

ヨネダコウ先生の「囀る鳥は羽ばたかない」二次創作サイトです。同好の士以外の方は回れ右でお願いします…

真夜中の鳥 8 (矢代)

 

 

 八

 

 久しぶりにクラスの全員が揃った3月15日、俺達は無事高校を卒業した。

 少し肌寒い気候の中、卒業式が終わった構内は、参加した父兄やら集まったOBやらでごったがえしていた。

 うちの学校は、卒業と同時に、OB会の強烈なお誘いがくる。卒業生全員が加入するものから、部活動のOB会まで、この日に入会申込と最初の会費を回収しようと躍起になった大人たちが乱入してくるので、別れの雰囲気も何もあったものではない。

「これ。いままで、貸してくれてありがとな! 合格祝いに、俺のプリクラ、マシマシにしといてやったから!」

 これから空手部の追い出し会(という名のOB会入会イベント)に顔を出す、と言う影山を呼び止めて、宣言どおり、プリクラをベッタリ貼った借り物のMDプレイヤーを突き出してやったら、影山はものすごく嫌そうに顔を顰めた。

……いらねえよ、そんな頭悪そうなモノ。……ってか、それ、お前もう暫く持ってろ」

「は? なんで?」

「今日、最後の一枚を渡すからだよ」

「はぁ? じゃ、結局、親父さんのコレクションコンプリートかよ!」

「いや、あれから、更に100枚見つかってな……だから、まだ1/3だ」

…………お前の親父さん、実は、目茶苦茶ミーハーだったんじゃね?」

…………俺も、そう思う……

 お互いに、なんとも言えない顔になって黙り込んだ後、影山は、はあ、とひとつため息をついて、カバンの中から小さな紙袋を取り出した。

「これ。………カードは、家に帰ってから読んでくれ」

「カード? なんか、湿っぽいな?」

「一応、最後だからな。……でも、まあ、気が向いたら、またうちに遊びに来い。昼飯くらい食わせてやる」

「お前、俺に餌付けすんの、好きだねー?」

「お前がいつも菓子パンばっか食ってるからだ! いいか、たまにはちゃんとまともなモン食え。野菜と蛋白質! 炭水化物は、お前みたいにろくすっぽ運動しねえ奴はそんなにいらん。金がなくても、そこはケチるな。わかったな?!

 目が座っている。影山チャンコワーイ! と言ってやったら、ぽかりと頭を殴られた。

「イテッ!」

………困ったら、いつでも、何時でもいい。うちに来い。大したことは出来んかもしれんが、寝る場所と食うものくらいなんとかしてやる。そのくらいの金は、親父が遺してくれた。……だから、遠慮するな」

 影山は、目が悪いせいでどうしても目つきが悪くなってしまう癖があって、普段はあまり人の目を見て話さない。

 でも、真剣な話をするときだけは、まっすぐに相手の目を見る。ちょうど、今のように。

 その、迷いのない、深く澄んだまなざしが好きだった。

……気が向いたら、な! お袋さんによろしく!」

 この視線に、嘘はつきたくなくて、そんな言葉で誤魔化した。

 笑いながら、きっと、こいつの家の敷居を跨ぐことは、二度とないだろう、と予感しながら。

 

 

 

 高校生活が、終わったな。

 家に帰って、誰もいない部屋で、ぼんやりと、窓の外の月を眺める。

 こんなとき、普通の家なら、卒業祝いでもして、皆で食卓を囲んでいるんだろう。

 いや、そんなこともねぇか。帰っても、親が仕事でいない家なんて、腐る程あるし。

 そんなことより、明日から、もう、行くところがない。


 学校に提出した就職先には、1月から始めた飲食店のバイト先の連絡先を入れた。

 ところが、そのバイト先の副料理長に気に入られて、ちょうど先週の日曜の営業時間後によろしくやっていたところを店長に見られ、その場で首を切られた。

 あの副料理長、自分から誘ってきたくせに、いざ見つかったらこっちが誘惑したとフカしやがった。まったく、大人という生き物は身勝手だ。

 でも、まあ、高校を卒業したってことは、自分もその身勝手な大人に仲間入りした、ってことなんだろう。

 それなら、先輩の大人たちに倣って、コッチも好きなように、望むままに生きればいい、ってことなんだろうか。

 

 ……好きなように、って、なんだ?

 ふと、そんなシンプルな疑問が頭に浮かんで、気を外らせなくなった。

 

 俺の望みって、何だ?

 ところかまわず、ヤりまくるとか?

 まあ、それも悪くねえけど……

 本当に、俺って、それくらいしかないのか。

 それも、望み、ってほどのことでもねぇし。

 ただ、暇を潰せて、いっときだけ快楽を得られる、というだけで。

 

 これからは、朝起きても、もうあいつには会えない。

 ──だったら。

 もう、朝起きなくても、いいんじゃないか。

 

 なんとなく、それが正解の気がして。

 そのあとに、ぞっとするような、甘い痺れが、背筋を走った。

 

 そうだ。もう、起きなければいい。

 このまま眠って、そのあと、二度と起きなければ。

 ──そうできたら、どんなにか。

 

『─────────────────』

 

 不意に、耳元で声が聞こえて、我に返った。

 ──幻聴?

 今の、声は。

 

 なにか、聞いてはいけないものを、聞いてしまったような気がした。

 背筋に走った痺れは、いまは、はっきりと悪寒のような寒気に変わった。

 ──そうだ。何度か、こんなことがあった。

 二度と、目を覚ましたくない、と。

 まだ、アイツが家にいた頃だ。そんなふうに「望んで」、母親が常用していた睡眠薬に手をのばして、この声に引き戻された。

 

 どうして忘れていたんだろう。

 ──俺は、過去に、自殺を試みたことがあった。

 いや、結局口にはしなかったんだから、試みたわけじゃないが。

 でも、少なくとも、もう二度と目覚めたくない、と願って、その手段に手を伸ばしたことがあった。何度も。

 

 身体中にへんな汗が滲んで、寒気がした。

 そんなことを望んだ自分が怖かった。それ以上に、そのことを完全に記憶から抹消していたことが恐ろしかった。

 あの声は、なんだったんだろう?

 何度も、自死の熱に浮かされた俺を、現実に引き戻した、あの声は。

 

 一人でいるのが怖くて、耐え難いほど寂しくて。

 影山からもらった紙袋を開けた。

 なんとなくヘンな感じがして、今まで一度も中を見ていなかったのだ。

 覗いてみると、中には、影山の言葉どおり、大きめのメッセージカードが一枚入っていた。

 

 

 

 矢代へ。


 このMDを渡すかどうか、ずっと迷ってきた。

 聴けばお前は、確実に、気分を悪くすることだろう。

 でも、伝えなかったことで後悔するよりは、お前の気分を損ねても、伝えておいた方がいいと思ったから、渡すことにする。

 

 この曲が、俺から見たお前の姿だ、と言ったら、お前は怒るだろう。

 でも、高校に入って、初めてお前を見た日から、ずっとそういう予感はしていた。

 お前と色々話すようになって、お前の言葉を聞いて、予感は確信になった。

 俺は、今でも、お前のことを、痛々しくて可哀想な奴だと思っている。それは、お前が、人が生きていくのに必要な愛情を得られずに、ずっと心の奥で叫び続けているように思えてならないからだ。

 

 親の愛情に恵まれなかったお前が、一番欲しいもののために、いつか身命を投げ出してしまうんじゃないかと、ずっとそれが怖かった。

 無責任なことしか言えないが、そんなことをせずとも、それを与えてくれる人間は、いつかきっとお前の前に現れる、と俺は思っている。

 

 だから、それまで、絶対に諦めるな。

 苦しくなったら、俺のところまで来い。

 根本的な解決にはならんだろうが、一緒に酒を飲むことくらいは出来るだろう。

 

 元気で。

 

 

  

 月明かりの中で読んだそれは、影山の、不器用ながら可能な限り丁寧に書いたと思われる文字で綴られていた。

 

 ──まったく、お前って奴は……

 

 鈍くて敏い。ここまで感づいておきながら、自分がその対象だということには、まったく考えが及ばないのだから。

 

 全身の汗と震えは、止まっていた。

 のろのろと、緩慢な動作しかしない腕を動かして、同封されていたMDを袋の中から取り出して見ると、ラベルには、『SHOW-YA 祈り』とだけ書かれていた。

 デッキにセットして、イヤホンを耳に当てる。

 シンプルなギターのイントロが流れてきた。



 眠る事も出来ず 歌う事も出来ず
 壊れそうに 朝を待つだけ


 暖かな腕に 肩を抱かれながら
 愛の海へ 崩れ落ちたい


 何を探してる 何を求めている
 夢よ 空へ舞い上がれ


 高く 高く もっと 高く
 広い空を 飛べたら
 どうか どうか 翼を下さい
 この命 引き換えに


 遠く長い道 歩き続けている
 夢の続き 追い掛けて


 強く 強く もっと 強く
 心のまま 生きたい
 どうか どうか 愛を下さい
 この身体 引き換えに


 高く 高く もっと 高く
 広い空を 飛べたら
 どうか どうか 翼を下さい
 この命 引き換えに


 眠る事も出来ず 歌う事も出来ず
 壊れそうに 朝を待つだけ

 

 
 ……なんだ、この歌は。

 イヤホンから溢れてきた音に、苦笑した。

 あいつには、俺が、こんなふうに、見えてるのか……

 てか、これ、どう考えても、女の歌だろ?

 それを、まあ声変わり前の俺ならともかく、今の俺にあてはめるとか。

 ホント、あいつは、ああ見えてロマンチストなんだなあ……

 

 胸が、痛い。

 それなのに、どこか、暖かい暗闇の中に包まれているみたいで。

 ほっとした。

 

 なんだか可笑しくて、肩の力が抜けた。

 さっきまで感じていた、耐え難い孤独は、どこかに消えていた。

 

 俺は、愛されるために、命や身体を投げうったりはしないよ、影山。

 たとえそんなことをしても、手に入らないものが愛情だと、分かっているから。

 だから、そんな心配は、しなくていい。

 

『どんなに辛くても、諦めずに、生きなさい。いつか必ず、助けは現れる』

 

 不意に、はっきりと、声が聞こえた。

 ──ああ。これは、あのじいさんの声だ。

 別れ際に、そっと耳打ちした、じいさんの言葉。

 今まで思い出せなかったその言葉を、今、はっきりと、その声色まで思い出した。

 優しい、俺の未来を気遣うような、その声を。

 

 あの言葉が、これまで、俺を守ってくれた。

 これからは、あの言葉と、影山がくれたこの言葉が、俺を守ってくれるだろう。

 『だから、それまで、絶対に諦めるな』

 ……この命が、燃え尽きて終わる、最後の瞬間まで。

 

 

 



 こうして、俺の高校生活は幕を閉じた。

 影山から借りたMDウォークマンは、それから約一年、俺の手元で昭和の懐メロを再生し続けた。

 さっさと借りたものは返しておくべきだったのに、ついずるずると引き伸ばし続けた結果、三角さんにアパートを強制解約された際、50枚のMDごと行方がわからなくなってしまった。コンタクトケースの方は無事回収できたのに、ウォークマンMDだけがなくなっていたから、おそらく大家が呼んだ掃除屋がくすねてしまったのだろう。

 影山が返せと言わないので、失くしたことも黙っているが、もし返せと言われると少々困る。──もはや、MDウォークマンなんてそう簡単には手に入らないからだ。MDディスクの方は、貰ったものだから返す必要はないだろうが、いまとなっては音源の入手が難しいものも少なくないので、あのとき回収できなかったのは返す返すも惜しい。

 

 それでも。

 影山が贈ってくれたMDディスクの1枚目から50枚目まで、何にどんな曲が、どんな順番で入っていたか、全部覚えている。

 その記憶が、俺にとっては、一番の宝物だ。

 



 今日も、また一歩、足を踏み出して歩く。

 今朝も、ここに、生きている。

 行くところがない、と思っていた俺にも、居場所ができて、僅かながら、守るものもできた。

 高校時代には未来が見えないことが怖かったが、今は、見えないからといって怯えることもない。

 その日その時で、出来ることをやって、生きていく。

 悪くはない人生だ。

 

 体から零れ落ちる流砂が、止まったわけではないけれど。

 明日も、また一歩、この足を踏み出して歩くのだろう。

 

 

 ──いつか、砂の流れが尽きて、この命が終わる、その日まで。 

 

 

 

 

 

Fin.