Song of the birds

ヨネダコウ先生の「囀る鳥は羽ばたかない」二次創作サイトです。同好の士以外の方は回れ右でお願いします…

ヤシノオトシゴとメキノオトシゴ

 


1. プロローグ

 

あたたかなおひさまが降り注ぐ、ちいさな南の島の、ちいさな珊瑚礁に、手のひらより少し小さいくらいの、色白のタツノオトシゴが棲んでいました。
そのタツノオトシゴは、名前をヤシノオトシゴといいました。
ヤシノオトシゴは、ちいさなしっぽを赤い珊瑚の小枝にまきつけて、来る日も来る日も、蒼い水のなかで銀色のお腹をひからせる魚たちや、ふうわりと漂って流れていくクラゲたちを眺めているのでした。
近くの珊瑚の木には、今年生まれたばかりの若いカップルが住んでいて、ふたりは朝も、昼も、夜も、お互いのしっぽをぎゅっとからませて水面まで駆け上がる、恋のダンスを繰り返しておりました。
きっと、もうすぐ、彼らには子供が生まれるのでしょう。
ヤシノオトシゴは、それを横目に見ながら、ひとりつぶやくのでした。

「あーあ。おれにも、あんな相手がいたらなぁ」

タツノオトシゴは、だれもが、生まれた年に出会った異性と恋におち、一生をその相手と添い遂げるのです。
しかし、ヤシノオトシゴがすきになった相手は、同じオスのタツノオトシゴ、カゲノオトシゴだったのでした。
カゲノオトシゴは、はじめの頃こそ、ヤシノオトシゴの尻尾に自分の尻尾をからませ、体に口吻をねちっこく押し付けたりしていたのですが、ある日、ヤシノオトシゴが「おれは、オスもすきなんだ」と打ち明けると、「俺はおまえが大事だ 親友として」と告げて、それ以来、ぱったりと近づかなくなってしまったのでした。

親友、ねぇ……。

ヤシノオトシゴは、自分がオスだから、カゲノオトシゴとは添い遂げられないのだと、夜中の暗い海から水面の月を見上げて、ひっそりと涙を流しました。
自分の姿をながめてみれば、おなかにできた小さな育児嚢は、オスとしてもたいして魅力がありません。
タツノオトシゴのオスは、メスから卵を受け取って、子どもが生まれるまでずっと自分のおなかの袋で育てるのですから、育児嚢が大きい方が、オスとして魅力的なのです。

つぎの年の春には、カゲノオトシゴは、その年生まれた若いオスと一緒に、もっと北の獲物がたくさんある海へと引っ越してしまいました。
その若いオスは、ヤシノオトシゴよりまつ毛がながくて、なによりも性格がとても明るい少年でした。
ヤシノオトシゴは、自分がオスだったからだめだったのではなく、自分に魅力がないからだめだったのだ、と思い知らされて、もう自分と添い遂げてくれる人なんかいないだろう、と、婚活もやめてしまいました。

捨てる神あれば拾う神あり。
カゲノオトシゴとその若いオスが旅立った年の秋、いっぴきの若いメスが、親潮にながされてやってきました。
そのメスは、すぐにパートナー探しを始めたのですが、今年生まれたタツノオトシゴは、すでにみな相手を見つけてしまっています。
そこで、まだ独り身でいたヤシノオトシゴに、
「随分袋が小さいわねぇ。でも、ほかにいないし、アンタでも、いないよりはましね」
とつぶやいて、結婚を申し込んだのでした。
ヤシノオトシゴは、生まれて初めて恋のダンスを踊り、卵を受け取りました。

これで、ようやく、卵を孵せる。
こんなおれでも、生まれてきてよかったんだ。

ヤシノオトシゴは、めでたくリア充となり、とても幸せでした。
ところが。
ヤシノオトシゴが、おなかの子供たちに懐メロをうたっていると、とつぜん、珊瑚礁の海に、荒々しい人間たちがやってきたのです。
そして、船の上から大きな網を海の底に投げかけ、恋を語らっていたタツノオトシゴたちを、根こそぎさらってしまったのでした。

体のちいさいヤシノオトシゴは、その網からこぼれ落ち、つがいになったメスとはなればなれになってしまいました。
ヤシノオトシゴは、そのメスを助けようと、背びれをいっしょうけんめいふるわせました。
しかし、海の中で姿勢をたもつのがせいいっぱいの小さな背びれは、ちっともヤシノオトシゴの体を前に進めてくれません。

どんなにいっしょうけんめい泳いでも、船の姿はとおざかるばかり。
そのうちに、船がぶるん! とおおきなスクリューを回し始めると、ちいさなヤシノオトシゴの体は、水の勢いにふきとばされ、ぐるんぐるんと回転して、もみくちゃにされてしまいました。

すっかり目をまわしたヤシノオトシゴは、しばらくのあいだ、岩の隙間に落ちて気を失っていました。
はっと気づくと、あたりはもう陽も落ちかかり、しんとしています。
岩のすきまから顔をのぞかせてみれば、いつもヤシノオトシゴがつかまっていた珊瑚の枝はへし折られ、周りにたくさんいた仲間たちの姿もありません。
ヤシノオトシゴは、おそるおそる、岩陰から這い出しました。
そして、ふと自分のからだを見下ろして、あっ、と声をあげました。

おなかの、袋が!

もうあと数日で子供がうまれるはずだった、ぱんぱんに膨らんだ育児嚢が、今はもう、真っ平になっていました。
ヤシノオトシゴがまいにち歌をきかせて育てた子供たちは、波にもまれてもみくちゃにされる間に、すべておなかの袋から流れ出てしまっていたのです。
子供たちは、つめたい水温にさらされて、きっともう死んでしまったでしょう。
ヤシノオトシゴのおおきな瞳に、涙がうかびました。

おれの袋が、ちいさいからいけないんだ。
おれは、妻だけでなく、子供たちもまもれなかった、だめなオスなんだ。

ヤシノオトシゴは、すっかり気落ちしてしまいました。
荒らされた海では、パートナーを連れ去られたタツノオトシゴが他にもたくさん、呆然として、海を見上げていました。
パートナーをうしなったタツノオトシゴは、なかなか次の相手をみつけられないのです。
だって、いつか、また、相手が帰ってくるかもしれないから……

それでも、秋がおわり、冬がすぎ、春になるころには、あきらめて他の相手とつがう者もあらわれはじめました。
ヤシノオトシゴにも、同じように相手をうしなった数匹のメスから、声がかかりました。
しかし、ヤシノオトシゴは、こんな自分なんかに、まともなレンアイなんてできるわけがねぇ、と、すべてそれを断ってしまったのです。
そして、それからは、だれとも話すことなく、ただお隣の珊瑚の枝に引っ越してきたタツノオトシゴのカップルの恋のダンスを見ながら、妄想だけしてきもちよくなりつつ、ひっそりと暮らすことにしたのでした。

そうして、3年目の夏がやってきたのでした。

 

2. 2度目の恋


あたたかな陽射しがふりそそぐ、ある日。
ヤシノオトシゴが、いつものように、珊瑚の枝にしっぽをからませて水面を見上げていると、また聞き覚えのある船のスクリューの音がして、人間たちがやってきました。

たいへんだ。みんな、さらわれてしまう!

ヤシノオトシゴは、おおいそぎで、今日も恋のダンスを踊っている若いカップルに「にげろ!」と声をかけると、自分も岩陰のせまい隙間にもぐりこんで、じっと息をころしました。
また、珊瑚の枝も、海藻の林も、めちゃくちゃにされてしまうのだろうか。
しかし、ヤシノオトシゴの心配をよそに、人間たちは狼藉をはたらく様子がありません。
しばらくの間、ダイバーたちが海底をしらべて、珊瑚や海藻を採取したり、写真をとったりしていましたが、さいごに何箇所かで海水を流し込むと、そのままいなくなってしまいました。

なんだ。また、タツノオトシゴさらいがきたわけじゃなかったのか。

ヤシノオトシゴは、すっかり海から人の気配がなくなると、ひょっこりと岩陰から顔を出しました。
チャームポイントの、頭の突起から長くのびたサラサラの皮片に、さやさやと海流を感じます。
魚たちも、なにごともなかったように泳いでいる模様です。
もうだいじょうぶだろうか。
そうして、ヤシノオトシゴが、はんぶんくらい体を岩陰からのぞかせたとき。
とつぜん、後ろから、ひくい声がかかりました。

「こんにちは。どうか、おれと、結婚してくれませんか」

ヤシノオトシゴは、とてもびっくりして、うしろを振り返ろうとしました。
しかし、まだ体のはんぶんは岩陰にかくれていたので、からだをひねることができません。
それが、まるで、恥じらっているように見えたのでしょうか。
声の主は、ちいさく「なんてかわいい人なんだ……」とつぶやくと、ヤシノオトシゴの前までゆっくりと泳いでまわり、ヤシノオトシゴのちいさな口吻の先に、それよりもひとまわり大きい口吻をちかづけたのでした。

「きれいだ……こんなにきれいな人は、初めてみました。どうか、おれと結婚してください」

ヤシノオトシゴは、自分の前にたちはだかるそのタツノオトシゴの姿に、目をみはりました。

……でかっ‼︎

ヤシノオトシゴよりひとまわり、いや、ふたまわりほども大きな、オスのタツノオトシゴです。
こんなやつ、この辺にいただろうか?
ヤシノオトシゴは、あまりに驚いたので、もっと大事なことにきづきませんでした。
つまり、このタツノオトシゴは、どうやらヤシノオトシゴの性別をかんちがいしているらしい、ということに。

「……オマエ、だれ? つか、何食ったらそんなデカくなんの?」
「あ、すみません。おれは、メキノオトシゴ、長いので皆おれのことを百目鬼と呼んでます。今日、この海にひっこしてきました」
「へえ……新顔……」

ヤシノオトシゴは、まじまじと、メキノオトシゴの全身を眺めました。
高く持ち上がったツノに、すこし浅黒い体、そして、りっぱな大きな育児嚢をもっています。
しかも、メキノオトシゴは、その育児嚢をヤシノオトシゴに見せつけるように、いっぱいに海水をためこんで、ぱんぱんにふくらませているのでした。
オスのタツノオトシゴは、そうやって、気に入ったメスにアピールをするのです。

「……いいカラダしてんなぁ……」
「おれ、あなたの子供をかならず守ります。だから、おれと」
「オマエさぁ。プロポーズの前に名前きけよ」
「あっ! すみません! あなたの名前を教えてください」

なんだかなー。
ヤシノオトシゴは、はぁ、と小さなため息を透き通った口吻からはきだすと、言ったのでした。
「おれはヤシノオトシゴ。長いから、皆矢代、ってよんでる。でもって、オマエの質問への返事は、ノーだ」
「えっ……どうしてですか!」
「どうしてもこうしてもねぇよ。俺はオスだっつーの」
「そんな……! こんなに綺麗なのに⁈」
「ご愁傷様。あと、この辺のメスは、もうみんな、ダンナもちだから。……オマエ、なんでこんなところに引っ越してきたの?」

タツノオトシゴは、体の構造上、早く泳げません。だから、遠くまでいくには、海流に乗って流されるしか、方法がないのです。
体のちいさな子供のうちは、そうやって海を旅しますが、こんなに大きく育ってから引っ越しをする例はあまりありません。
まあ、カゲノオトシゴのように、もっとよい餌場を求めて移動する者もいないわけではありませんが……

「おれ、水槽で生まれたんです。人間たちが、ゼツメツキグシュがどうの、といっていて、おれのほかにも、たくさん同い年がいました。おれの親は、オオウミウマの家系で、人間が漢方薬やお守りにするためにたくさんとりすぎて数が減ってしまったらしくて……。一生、水槽で暮らすんだと思っていましたが、急に捕まえられて、この海に流されました」
「ああ、人間のやること、わっかんねぇなー。まぁ、デカくなるまで育ててから放流すりゃ、魚に食われる確率は減るけど……こんな、相手もいねぇところに流したって、繁殖できねぇだろ」
「いえ、でも、おれは、ここに流されてよかったです。あなたに、会えたから」

メキノオトシゴは、深い海の底の色をした瞳で、じっとヤシノオトシゴをみつめたのでした。

「ひと目みたときから、あなたが、どうしようもなく好きになってしまいました。どうか、おれと、結婚してください」
「はぁ⁈ 何いってんのオマエ?」
「なにもいりません。そばにいるだけでいいです。どうか、あなたのそばに」
「却下だ! オマエ、絶滅危惧種なんだろ? お前みたいな立派なオスが、子供つくんなくてどうするよ⁈」
「だって、どちらにしても、俺の相手になってくれるメスはここにはいないんでしょう?」

ずきん。
ヤシノオトシゴは、胸がはりさけそうに痛んだのを感じました。
そうだ。こいつは、今はつがいになるメスがいないから、とりあえず当分オトコでもいいか、と思っているだけなんだ。

その考えは、自分でも意外なほど、ヤシノオトシゴの心を沈ませました。
ヤシノオトシゴは、自分よりふたまわりも大きいメキノオトシゴの体を睨み上げると、つめたく言い放ったのでした。

「おれは別に、おまえのことは好きじゃねぇ。そもそも、そのバカでかい育児嚢見せつけてくんのもムカツクしな」
「矢代さん……」
「ま、そういうわけだから。出ていけよ。ここはおれの家だ。……1ヶ月もすりゃ、今年生まれのメスが育ってくるし、それまで待てば、オマエみたいなりっぱなオスは、いくらでも引く手あまたになんだろ」

 


その日の夜。
ヤシノオトシゴは、いつものように尻尾を珊瑚の枝にからませて、暗い夜の海を見上げていました。
大きな体で、すっかり気落ちして、崖の下の方に泳いでいったメキノオトシゴの後ろ姿が、いつまでも脳裏からはなれなくて。
ずっと眠れずにいたのです。

おまえは、おれが、オトコしか好きになれない、って、知らなかったんだろうなぁ。

ほんとうは。
あのメキノオトシゴの深い色の瞳に見つめられたときから、ヤシノオトシゴの心は、すっかりメキノオトシゴに奪われてしまっていたのでした。
不器用な、それでも熱意だけはあるその瞳は、どことなく、カゲノオトシゴに似ていて……。
でも、あいつは、絶滅危惧種だし。
そもそも、あんなに立派な育児嚢をもったオスに、自分の方が妊娠したいだなんて、言えるわけがありません。

ヤシノオトシゴは、最初の卵を海に流してしまってから、一度でいい、自分のおなかで卵を孵したい、と、ずっと思い続けてきました。
でも、ヤシノオトシゴのちいさな育児嚢を、メスたちは残念そうに見つめるのです。
「こんなにきれいな顔をしてるんだから、アンタ、メスだったらよかったのにね」
唯一、ヤシノオトシゴに卵をくれたメスも、そういっていたのでした。
でも、どれほど外見がよかろうとも、ヤシノオトシゴはオスなのです。
まいにち、子供たちに歌をうたってきかせて、丈夫な子供にそだてたい。
その切望があるのに、心から好きになるのは、自分より立派なオスばかりで……。

なんか、いろいろ間違って、生まれてきたんだろうなぁ……

ヤシノオトシゴは、もう、どうでもいいや、という気分になっていました。
おとなりの若いカップルの恋のダンスを覗き見しても、もう楽しくはなれません。
どこか、遠い海に、いってしまおうか。
ふと、ヤシノオトシゴは、そんなことを考えました。
いま、この珊瑚の枝に絡ませている尻尾をほどけば、このちいさな体は、潮にのって、遠いどこかの海へ流れていくでしょう。
それは、隠れる場所もなく、十中八九、大きな魚に食べられてしまう、とても危険な旅です。
しかも、夜に流されれば、捕まる珊瑚の枝もみつけられず、とてもタツノオトシゴが住めないような深い海にまで、引き込まれてしまうかもしれない。

それでも、いいか。

ヤシノオトシゴは、もう、メキノオトシゴの姿を思い出したくなくて、ちいさなため息をつきました。
ここを離れてしまえば、あの姿を見ることもないでしょう。
そのあとは、もう、どうなったっていい。
ヤシノオトシゴが、珊瑚の枝に絡めたしっぽを解こうとした、その時でした。

「矢代さん!」

暗闇のなかから、あの昼間もきいた低い声が、ヤシノオトシゴの名前を呼ぶのが聞こえたのです。

「逃げないでください、矢代さん……」
「おまえ……どうして……」
「あなたと別れてから、あなたについてもっと知りたいと思って、ほかのひとたちにあなたについての話をきいてまわったんです。それで、あなたが、最初に好きになったのは、同じ年に生まれたオスだったと知りました」

メキノオトシゴは、ヤシノオトシゴが尻尾をからめている珊瑚の枝に近づくと、「おれもちょっと、この枝借りていいですか」と呟いて、ヤシノオトシゴがいいともなんともいう前に、ヤシノオトシゴの目の前におちついてしまったのでした。

「……だったら、どうなんだよ。おれがオトコしか好きになれないから、おまえに望みがある、とでも?」
「それは、わかりません。でも、昼間のことを謝りたくて……。おれは、ゼツメツキグシュだけど、今すぐにつがえるメスはいない、だから、あなたのそばにいられない理由にはならない、と言いたかったんです。でも、それは、メスがみつかったらあなたを捨てるとか、そういうことじゃなくて」
「何言い訳してんの? それがアタリマエだろ。おまえみたいな立派なオスが、おれみたいな貧弱なオスと遊んでていいわけがねぇだろが」

ヤシノオトシゴは、メキノオトシゴの熱い吐息から逃げるように、そっと顔を背けました。
だから、この場所を離れたかったのに。
せっかく、今ならまだ、諦められると思ったのに。

「貧弱? あなたは、自分のことを、そんなふうに思っているのですか?」
「思ってるも何もねぇだろ。オマエ、自分の育児嚢みてみろよ? さぞかし、たくさんの卵を抱えて、立派に育てられるんだろうなぁ。それにひきかえ、おれは、たった20個の卵も守れなかった出来損ないだ。だから、メスもおれなんかには見向きもしない」
「それは嘘です。あなたに結婚を申し込んだけど、断られた、という話を数人からききました。あなたは、ずっと誰かを思っているようだった、と……。 最初に好きになったオスのことが、忘れられないのではありませんか?」
「それは………」

そういって、ヤシノオトシゴは口ごもり、また下を向きました。
カゲノオトシゴのことは、ずっと心の中にありました。
でも、その姿を思い出しても、もうそんなに胸が痛まないことに、今、気づいたのです。

きっと、こいつと出会ってしまったからだ。
ヤシノオトシゴは、月明かりに照らされて、じっとこちらを見つめているメキノオトシゴを見上げました。

見れば見るほど、いい男だなぁ……。
そんな立派なオスにばっか惚れるなんて、おれはほんとに、どうしようもねぇな。

「オマエさ、」

ヤシノオトシゴは、もうどうなってもいいや、と、ついに、隠していた思いを口にしてしまいました。

「おれに、タマゴくれる? 俺は、オマエのヨメさんになるんじゃなくて、俺の方が卵抱えたいんだけど?」
「矢代さん……」
「な? 無理だろ? おまえもオスだもんな? しょうがねぇじゃん。惚れるのは男ばっかだけど、おれはオスだ。オマエのために卵も産んでやれねぇし、俺にも卵そだてたい願望がある。どっちも、どんなに願っても叶わねぇ望みだ。……そーゆー不毛なの、やめとこうぜ」

さあ、ここまで言えば、さすがのコイツも諦めるだろ。

ヤシノオトシゴは、もう話はすんだとばかりに、 そっぽを向いて、たぬき寝入りを決め込もうとしました。
ところが。
突然、メキノオトシゴが、ヤシノオトシゴのからだに自分のしっぽを絡み付けて、興奮した口調で話しかけてきたのです。

「わかりました……! では、おれが、あなたのために卵を用意します!」
「はぁ?! ナニいってんのオマエ?! 他のメスから奪ってくるとか?! あ、それとも、その辺のメスにオマエの袋に卵産ませて、それをオレに分けようとか、そういう話?!」

ヤシノオトシゴは、さすがに腹をたてて、メキノオトシゴを振り落とそうと、大きく体をゆらしました。
しかし、力のつよいメキノオトシゴは、しっかりとヤシノオトシゴのシッポに巻きついてはなれません。

「ちがいます、矢代さん! おれ、水槽の中にいたときに、きいたことがあるんです。珊瑚礁から、大陸棚にそって深い海の底まで潜っていくと、親のないタツノオトシゴたちの卵が眠る場所があるって……!」
「なんだよソレ……! そんなもん、都市伝説に決まってんだろ。離せよコラ!」
「でも、行ってみないとわからないじゃないですか! 大丈夫です、おれ一人で行きますから……だから、おれが無事卵をもってかえってきたら、おれと結婚してくれますか?」

メキノオトシゴは、長い口吻をヤシノオトシゴの頭や耳にたくさん押し付けながら、いいました。

「あなたのためなら、おれはどんな危険な海でも、必ず卵をもって帰ります……」
「はっ……バッカじゃねぇの……」

ヤシノオトシゴは、メキノオトシゴの口吻が触れるたびに、声があがりそうになるのを必死にこらえながら、いいました。

「魚に食われちまうぞ……おまえ……」
「いいえ。……あなたに卵をもってかえるまでは、絶対に、誰にもやられません」
「……っ……。深い海は水が冷たい。シッポを絡める珊瑚もねぇから、潮に流されて帰ってこられねぇぞ……」
「大丈夫です。おれは体が大きいから、自分で泳いで帰れます」
「強く願えば叶うほど、この世は甘くねぇよ……。しかもオマエ、この辺のこと、ほとんど知らねぇじゃん。それどころか、リアルな海もわかってねぇくせに、何世迷いごとほざいてんだ……」

ヤシノオトシゴは、はぁ、と熱いため息をつきました。
いくら突き放しても、このちょっとおバカな男は、ありもしない幻のタマゴを探して、大海原に飛び出してしまうのでしょう。
そうして、あっという間にマグロやエイにでも食われてしまうのに違いありません。

……それは、いやだ。

「……わかった。おれもヒマだし、おまえの世迷いごとに付き合ってやる。……そのタマゴを探す旅、おれもついていってやるよ」
「矢代さん……! 本当ですか⁈」
「ただし、今年だけだ。……来年は、もう、他のメスを探せよ」
「どうしてですか! おれは、一生、あなたを……」

ヤシノオトシゴは、今はもうシッポだけでなく胴体にもからみついているメキノオトシゴの、ぷっくりとふくれたお腹に、軽く口吻を押し当てていいました。

「おれはもう、今年で三年目だからな。……来年のいまごろは、きっともういない」
「えっ……そんな……」
「おれたちの寿命がどのくらいか、お前も知ってんだろ。まぁ、おまえはでかい種類だから、もうちょっと長生きするかもだが、おれの親はヒメタツだから、せいぜい三年ってとこだ。……旅に出るのはいいが、帰ってこられねぇかもな」
「矢代さん……! 大丈夫です、おれが、かならずあなたを守ります!」
「ははっ……バカだなぁ、おまえ。こんな、ちっぽけなヒレしかない、タツノオトシゴのおれたちにできることなんて、なんにもねぇよ。ただ……さいごのときがきても、絶対に絡めたシッポを離さないくらいしか……」

あのとき、妻のしっぽを離さなかったら。
自分は、妻や子供たちと運命をともにすることができたんだろうか?

ヤシノオトシゴは、そんなことを思って、じっとメキノオトシゴをみつめました。
自分は力がよわくて、水流にまけて妻のしっぽにしがみつくことができなかった。
妻の遺した子供たちもまもれなかった。
でも、いま、こうして、メキノオトシゴの前にいる。

こんどこそ。
こんどこそ、ぜったいに、離さない。
たとえ、ほかの魚に飲み込まれることになっても。

ヤシノオトシゴは、珊瑚の枝にからみつけていた自分のしっぽで、つよくメキノオトシゴのしっぽの先を握り込むと、少しだけ微笑って、言ったのでした。

「……さあ、旅にでよう。……おれたちの卵を探す旅へ」

 

 

3. 卵が眠る海


夜の海は、青黒く、つめたくて、ひっそりとしていました。
ヤシノオトシゴは、自分の鼻の先も見えないような暗がりのなかで、しっかりと自分をだきしめるメキノオトシゴの、強いしっぽの力を感じていました。
メキノオトシゴは、終始、あたまを左右にふって、あたりを警戒しています。
そのはりきりようが可笑しくて、ヤシノオトシゴは、つい、笑って言ったのでした。

「そんなに頑張るなよ。疲れちまうぞ?」
「矢代さん、どうして、夜のうちに出発を決めたんですか? 視界がわるくて、昼よりも危険な気がしますが」
「んー、まぁ、理由はいろいろあるけど。たしかに、夜は敵の姿が見えねぇから、周りを警戒して隠れるとかできねぇな。大きな魚に見つかったら終わりだ。でも、昼間は、おれたちの姿も敵に見えやすいだろ」
「それは……そうですが」
「大陸棚を深い方に潜っていくってことは、どのみち、おれたちが身を隠せるような珊瑚の枝は、先をすすむにつれて減ってくる。そうすっと、むしろ、見える方が危険になんだよ。それに、夜なら、鳥には絶対に狙われねぇだろ」
「鳥……って、なんですか?」

ヤシノオトシゴは、おもわず、口吻をぽかんと開きました。
タツノオトシゴの天敵は、大きな魚はもちろんですが、水深の浅いところで恋のダンスを踊る習性があるため、魚よりもむしろ鳥に狙われやすいのです。

そういや、こいつは、水槽生まれだった。

ヤシノオトシゴは、こんな世間知らずのトーヘンボクは、さっさとあの浅瀬を離れてよかったのかもしれない、と、はじめて思ったのでした。

「……オマエ、案外、おれに惚れて命拾いしたのかもなぁ……あのままあそこにいたら、明日には早速、カモメに食われてたかもしんねぇぞ?」
「カモメ……」
「鳥ってのは、空からおれたちを捕食する天敵だ。水面に黒い影がうつったら、やつらがおれたちを狙ってる。とくに、恋のダンスに夢中になってるペアは、やつらにとって格好のエモノだ。……来年、気に入りのメスをみつけたら、空の黒い影にはせいぜい気をつけるんだな」
「はい。気をつけます。……でも、来年も、おれといっしょにいるのはあなたです」

メキノオトシゴは、ヤシノオトシゴの体をしっかりとかかえたまま、たくさん口吻をヤシノオトシゴのすらりとした首に押し付けました。

「……っ……コラ、吸うなよ」
「おれ、吸引力がすごいんです。50センチ先のエビも一瞬で吸い込めます」
「……っ…………っ……なんの自慢だよ……っ……!」
「あなたが、何を食ったらそんなにデカくなるのか、と訊いたので。たくさん、いい獲物を食べると、寿命がのびるって、水槽にいたころに人間たちが言ってました。水槽の中では、どうしても栄養がかたよるから、3年が限度だそうですが、自然界では色々な種類の餌をたべられるから、寿命がのびる、と」

メキノオトシゴは、ヤシノオトシゴのちいさな口吻を、ちゅっ、ちゅっ、と音をたてて吸うと、熱いまなざしでじっとヤシノオトシゴの瞳を見つめました。

「だから、おれが、たくさん獲物をつかまえて、あなたに食べさせるんです。そうしたら、あなたもきっと、もっと寿命が伸びるでしょう?」
「……バカだな……おまえ……まずは自分が生き延びるのが先だろ……」
「矢代さん。タツノオトシゴの寿命が3年というのは、平均です。ほんとうは、3年まで生き延びられない個体の方がずっと多いのに、一部のかしこい個体がもっともっと長く生きるから、平均値が上にひっぱられて3年になるんです。……3年間、天敵にも襲われず、人間の手からも逃れて生き抜いてきたあなたには、おれたちが知らない知恵があります。今年うまれの若いメスとつがいになるより、あなたと一緒にいた方が、おれもきっと長く生き延びられる。……そう思いませんか?」

ヤシノオトシゴは、ふいをつかれて、おもわず背ビレをうごかすのをやめ、その場にかたまってしまいました。
3年間、ずっと、ヤシノオトシゴは、自分をだめなオスだと思って生きてきたのです。
でも、そんな自分が、こんなに立派なオスのメキノオトシゴの命を長らえさせることが、ほんとうにできるのでしょうか?

ああ、おれは、百目鬼が、すきだ。
もう、にどと、このしっぽを離したくない。

ヤシノオトシゴは、大きく見開いた眼に痛みを感じて、またうつむきました。
だけど、これは、けっして口にしてはいけないのです。
だって、ほんとうにオスの自分とつがいになってしまったら、メキノオトシゴは、もう自分の子孫をのこすことができなくなってしまうのですから。

「……バァカ。この程度の知恵、自然の海で生き抜いてきた古参にはアタリマエなんだよ。まぁ、今年はおれが色々教えてやるけど、来年はいいヨメさんみつけろ。でもって、ちゃんと子孫残せ。……それが、絶滅危惧種の役目だ」

 

二匹は、こうして、お互いにかたくしっぽを絡め合ったまま、深い海の底にゆっくりと潜っていきました。
大陸棚の岩壁から、色とりどりの珊瑚が消え、深いみどり色の海藻が消え、あたりの色は昼も夜も青黒くなり、やがて、漆黒の闇になりました。
お日様が出ていてもあたりが暗いので、二匹は、もう何日そうして泳ぎつづけているのか、わからなくなってしまいました。
水はつめたく、ちいさなヤシノオトシゴのからだは、冷え切ってあおざめ、固く石のようにちぢこまりました。
それでも、メキノオトシゴが、おおきなからだをぐるぐるにヤシノオトシゴにまきつけて、熱い息をふきかけると、すこしの間だけ、からだに血がかよって温まるようにおもえるのでした。

いつの間にか、あたりには、発光クラゲや発光エビが、おもいおもいに光って、周囲のプランクトンを照らし始めていました。
プランクトンは、タツノオトシゴの餌でもあります。二匹は、自分たちは強く絡まったまま少しも動かず、そばにやってきた小エビやプランクトンを吸い込んで、おなかを満たしていました。
ときおり、メキノオトシゴがおおきな獲物を吸い込んで、それをヤシノオトシゴに分けてくれましたが、そんなことをしなくても、この深い海には、プランクトンがたくさんいたのです。
ヤシノオトシゴは、やせっぽちだった自分のからだが、ここにきてから、すこしふっくらとしてきたのを感じていました。

これなら、たまごをちゃんと孵せるかもしれない。

オスの育児嚢はただの袋ではなく、卵が入ると、胎盤がつくられます。
胎盤は、卵の胚を丈夫な子供にそだてるのにとてもたいせつで、これがきちんとつくられるかどうかで、子供たちの生存率が決まるのです。

……バカだな。いくら胎盤をつくれたって、卵がねぇじゃん。

ヤシノオトシゴは、自分の想像が可笑しくて、すこし切なくて、ぷっと小さく噴き出しました。

「どうしたんですか? 矢代さん?」
「……なんでもねぇ。ところで、海の底についたみたいだけど、やっぱ、卵、ねぇよな?」
「わかりません……でも、もう少し、探してみたいのですが……」
「まぁ、せっかくここまで来たんだし、もう少しくらい粘ってもいいけど。でも、こんな暗闇の中でどうやって探す?」
「ここには、太陽の光も、月の光もとどきませんが、エビやクラゲがいっせいに光り出す時間があるようです。むやみに動くのではなく、その時間を待つ、というのはどうでしょう? もちろん、それを狙って深海魚もやってくるので、十分に気をつけなければなりませんが……」
「まぁ、海の底にはりついてりゃ、魚に見つかる確率も下がんだろ。上には光ってるやつらがいっぱいいるわけだし」

ヤシノオトシゴは、それよりも、なにもなかったときに、どうやってメキノオトシゴをなぐさめようかと、そればかりを考えていました。

卵なんて、あるわけがない。そんなお伽噺みたいな話。

はじめて親のない卵たちの話をきいたとき、ヤシノオトシゴは、もしかしたら、自分のように卵を守りきれなかったオスが流した卵が吹き溜まる場所があるのかもしれない、と思ったのでした。
潮の流れは、だいたい同じような場所に吹き寄せるので、そういうことならありそうです。
でも、そうだとしたら、その卵たちは、この冷たい水温にさらされて、とうに死んでいることでしょう。
そして、そんなことは、いくら世間しらずのメキノオトシゴだって、十分にわかっているのだろう、と、ヤシノオトシゴには思われたのでした。

それでも、諦めきれない。
どうしようもないのに、諦めきれないそのきもちだけが、ヤシノオトシゴには身に迫ってかんじられて、それ以上、バカな妄想だと笑い飛ばすこともできなくなってしまったのです。

……なぁ、百目鬼……。
この旅自体が、はかない幻みたいなもんだ。
幻は、おいかけてるときが一番しあわせなんだよ。
そばに寄ってみたら、あれほど光ってみえた宝が、ただのガラクタだった、ってわかったとき、おまえならどうする……?

 

「矢代さん!」

そのとき、メキノオトシゴが、声をあげてヤシノオトシゴのからだを強くひっぱりました。
ヤシノオトシゴは、メキノオトシゴに振り回されて、一瞬目をまわしかけましたが、くるりと後ろをふりかえるかたちになって、おもわず目を見張りました。
砂でできた丘の向こうの窪地に、発光クラゲの光に照らされて、白くひかる粒がたくさん見えたのです。

「ありましたよ! 矢代さん! あれがきっと、親のいない卵にちがいありません!」
「待て百目鬼、おちつけ! そうやって、寄ってくる魚を食おうとするやつの罠かもしれねぇだろ⁈」
「あっ、そうですね、矢代さん! でも、おれたちは光らないから、奴らの目にも見えにくいはずです。ゆっくり、枯れ草のふりをして近づけば、きっと俺たちを食えるとは思わないんじゃないでしょうか?」
「そりゃ、まぁ、擬態はおれたちの生存戦略だが……ココ、枯れ草とかほとんどねぇぞ? 騙されるか?」
「大きく動かなければ、大丈夫です、きっと!」

二匹は、かたくしっぽを結び合ったまま、じりじりと光る粒の方へとおよいでいきました。
頭上では、クラゲたちが恋を語らいながら、きみどりや、青や、赤い光を、ネオンサインのようにぴかぴかと点滅させています。
「なんだか、ラブホテルみたいですね」
メキノオトシゴがそんなことをいうので、ヤシノオトシゴは、けげんな表情でメキノオトシゴの横顔を見返しました。
「ラブホテル? って、なんだ?」
「人間たちが、テレビ、という箱のなかで見ていました。交尾するときにつかう部屋で、いろいろな色の光がぴかぴかしてるんです。あんなところではおちついてできない、と思ってましたが、こうしてみると、悪くないです……あなたの顔が、とてもよく見えるし」
「……いや……交尾は……」
できねぇだろ、とヤシノオトシゴは思いましたが、どうせ言わなくてもすぐにわかることなのだから、と、その先はいわず、口をつぐんでしまいました。
メキノオトシゴは、そのヤシノオトシゴの逡巡に気づかなかったのでしょうか。
ただ一心にじっと前をみつめたまま、しずかに、こう言ったのでした。
「さあ、つきましたよ、……矢代さん」

 

ヤシノオトシゴは、メキノオトシゴのシッポに抱えられたまま、目の前に広がる一面のひかる粒を見つめました。
「………ああ………」
それは、ずっととおくまで、はてしなく広がる、小さな小石の海原だったのです。
ちょうど、タツノオトシゴのたまごくらいの大きさの、大理石のようなまあるい粒が、延々と、視界の向こうまで広がっています。
そこには、もちろん、親となるタツノオトシゴの姿もなく、ただ、しんとしずまりかえった黒い海の底で、幾千、幾万もの小石が、しろい石肌を、クラゲたちのはなつ光に、淡く反射させているのでした。

「……っ……そっか……………石………」

ヤシノオトシゴは、きゅうに両目に溢れてきた涙がとまらなくて、おもわず強く鼻をすすり上げました。

……最初から、わかっていたんじゃないか。
たまごなんて、どこにもないことくらい。

どうしてこんなに胸が痛むのか、ヤシノオトシゴにはわかりませんでした。
ただ、きっと、自分は、この光景をわすれないだろう。
そう思って、ヤシノオトシゴは、この白い光の海を、からだの節々のひとつひとつ、ひれの先のひとつひとつまで染み込ませるように、じっと両目をみひらいて見つめていました。

でも、そのとき。
メキノオトシゴが、とてもしずかな声で、言ったのです。

「さあ、これが、あなたの卵です。」

ヤシノオトシゴは、びっくりして、メキノオトシゴの方をふりかえりました。
メキノオトシゴは、からだをひねって外れかけたヤシノオトシゴのからだを、またつよく引き寄せると、からだぜんぶをつかってヤシノオトシゴを抱き込み、ほおずりをしたのでした。

こいつは、なにを言っているんだ。
オスのくせに、オスに惚れて、それでも卵がほしいと駄々をこねるバカには、小石でもあてがっておけ、と、軽蔑しているのか?

ヤシノオトシゴは、混乱しました。
どうみても、これらは、ただの小石なのです。
持って帰ったところで、孵るはずもないものたちなのです。

しかし、そのとき、クラゲたちがいっそう強いひかりを放って、ヤシノオトシゴは、燃えるような熱をこめたメキノオトシゴの瞳が、じっと自分を見ているのを知ったのでした。

ああ、違う。
こいつは、幻を、ほんとうにしようとしているんだ。
近づいてみたら、ガラクタだった。でも、そのガラクタを、宝物に変えようとしているんだ。
そうして、この幻をおいかける旅も、ほんとうにしてしまうつもりなんだ。

メキノオトシゴは、さいしょから、ここになにがあるのか、知っていたのかもしれません。
それでも、ヤシノオトシゴのために、たまごを持ってかえろうとしたのでしょう。
……ほんとうの海のことなんか、なにもしらないくせに。

だから、ヤシノオトシゴは、思ったのです。
どうせ、これが、最後の繁殖期なんだ。
それなら、この魔法にのっかってみるのも、悪くないだろう、と。

「……ああ……そうだな……。……そんじゃ、さっそく、ヤってみるか」

 

 

4. 詰める


ヤシノオトシゴの瞳に、頭上でぴかぴかとひかるクラゲたちの乱舞が映っていました。
ヤシノオトシゴは、なんども、大声をあげそうになって、そのたびに、メキノオトシゴに「しずかに、魚に見つかります」と口吻を塞がれるのを、繰り返していました。

「……っ…………っ………‼︎」
「だめです、矢代さん、動かないで」

体をあおむけにおさえつけられて、身動きができずにいるヤシノオトシゴに、メキノオトシゴは余すことなく口吻を押し付けて、吸い跡がのこるほど強く吸い上げました。
ひとつ吸われるたびに、冷えて固まっていたヤシノオトシゴのからだに熱がともり、ヤシノオトシゴはまるで恋のダンスを踊ったときのように、胸が高鳴るのを感じたのでした。

ああ、からだじゅうの細胞が、生き返るような気がする……

「ここで恋のダンスを踊るのは、危険すぎますから……これで、我慢してください」
「……っ……なぁ………これって……おまえはイイの……?」
「すごくイイですよ……綺麗なあなたの、こんなにあられもないすがたをじっくり眺められるなんて、そうないでしょうから」
メキノオトシゴは、満足げにほほえむと、またつよく、ヤシノオトシゴの首を吸い上げました。
「あられもない……ってなんだよ………んんっ………!」
「ほら。そういうところです」
「クソっ……! おまえばっかズルいだろ……こっちにも吸わせろ……っ!」
「なにを言ってるんですか。おれは必要ありません。からだを緩めなくちゃならないのは、卵を抱えるあなたの方ですから」
メキノオトシゴは、ヤシノオトシゴのお腹で震えているちいさな育児嚢の、さらに小さな開口部に、太い口吻を押しつけました。
「……あ……あああっ‼︎」
「全然入らないじゃないですか。おれにはメスの産卵管はありませんから、これが入らなかったら、あなたに卵を届けられません。……頑張って、緩めてもらわないと」
「ま……待て! ……おまえ、まさか、おまえのその太い口を、ここに突っ込むつもりなのか⁈」
「それ以外にどうしろと? おれだって、あなたと交尾したいです」


ヤシノオトシゴは、すっかりあおざめて、自分のちいさな育児嚢と、メキノオトシゴの太い口吻を見比べました。
メスの産卵管はもっとずっと細くて、なにも苦労しなくてもするりと入りましたが、メキノオトシゴの口吻ときたら、太くて長い上に、先の方がすこし広がっているのです。
「ほら、もっと、力を抜いてください」
「ちょっ……無理……あ……あああっ!」
メキノオトシゴが強く開口部を吸い上げると、ヤシノオトシゴの背筋をぞわぞわとした感覚が走りました。全身の力が抜けて、ぐったりとメキノオトシゴのしっぽにからだを預けると、その瞬間に、ぷつり、とメキノオトシゴの口吻が開口部を通り抜け、袋の奥まで侵入してきて、強く中を吸い上げたのです。
「ああっ!……んっ……あ……ああああっ!」
「……ここ……弱いんですね……少し吸うだけで、すごく、気持ちよさそうです……」
「んんんっ……や……見んな…………!」

ヤシノオトシゴは、お腹の中の、奥の方に吸い付いてくるメキノオトシゴの口吻のやわらかな感触に耐えきれず、ひっきりなしに、高い叫び声を上げました。
お腹の中をまさぐられるのは、気を失いそうになるほどきもちよくて、同時に心臓が爆発しそうなほどしんどくて、胸がぎゅっといたくなるのです。
「矢代さん、そんな大きな声をあげたら、魚にみつかります」
メキノオトシゴは、そうして、ヤシノオトシゴが声をあげるたびに、口吻をおなかから引き出して、ヤシノオトシゴの口吻を自分の口吻でふさぎました。
そして、育児嚢から口吻を出し入れされるたびに、ヤシノオトシゴの白いからだは、その衝撃でびくびくと震え、薔薇色に染まるのでした。

交尾って、こんなだったのか?
ヤシノオトシゴが、以前に体験した交尾は、こんなにきもちよくはありませんでした。
一緒にダンスを踊って、水面まで浮き上がった一瞬に、メスが産卵菅を育児嚢の開口部に差し込んで、卵のかたまりをうみつける。ただ、それだけだったのです。

ほんとうに好きな相手とする交尾は、こんなにきもちいいものだったのでしょうか?

「あ……! ……も……い、っ……いく…………っ……!」
「まだです。まだこれからです」

メキノオトシゴは、ヤシノオトシゴのからだを横たえた小石のベッドから、ちいさな小石をひとつ、口に含みました。そして、それを一度自分の育児嚢にいれてあたためると、またそれを口にくわえて、ヤシノオトシゴの育児嚢の開口部から、深く一番底まで差し込みました。
「────っ‼︎」
ヤシノオトシゴが、声にならない叫びをあげました。ただでさえメキノオトシゴの口吻に吸われて敏感になっているのに、そこに固い石が入ってくるのだから、たまりません。
「ぁ……んっ………ん…っ…………」
「まだたったひとつですよ。そんなに締め付けないで、もっと、中を広げてください……」
「……な……に……言って…………」
「おれは、子供は500ぴきほしいです。繁殖周期が3週間、出産後24時間以内にまた交尾するとしても、冬までにできるのはせいぜいあと4回ですよね? だったら、1回につき、百匹は産んでもらわないと」
「百っ…………! ば……か…………!」
「おれは本気です。大丈夫ですよ。あなたが十分にからだをゆるめてくれれば、100個くらいは入ります。泳げなくても、おれがちゃんと上まで連れて帰りますから」

100個も石をおなかにつめこんだら、泳ぐどころか、浮き上がることもできないかもしれない。
ヤシノオトシゴは抗議しようとしましたが、メキノオトシゴがつぎつぎにおなかに石を詰め込んでくるので、あられもない喘ぎ声を上げることしかできず、ついに、根負けしてされるがままになってしまいました。


おなかに石をひとつ詰め込むたびに、全身をびくつかせて、うるんだ瞳でこちらを見上げてくるヤシノオトシゴのすがたを見て、メキノオトシゴは、胸が熱くなるのを感じました。
これは、ただの石じゃない。
ちゃんと、自分のお腹に一度いれて、自分の精子をかけてから、ヤシノオトシゴのおなかのなかでそだててもらう、ふたりの子供なのです。
たとえ、孵ることがなくても、それだけは、ぜったいにかわらないのです。

「ど……めき…………も……む、り…………」
80個の小石をつめこんだところで、ヤシノオトシゴが、うっすらと涙を浮かべて、小さくつぶやきました。
メキノオトシゴは、そのむずがるようなヤシノオトシゴのしぐさがあまりにかわいらしくて、また強くしっぽをからみつけて、ヤシノオトシゴの口吻を吸い上げました。
「無理、じゃないでしょう? まだこんなに上の方があいているのに」
「……っ…………そこ……触ると…………動けな………っ…………!」
「ここ、すごく、きもちいいんですね? だから、卵があたると、イキっぱなしになるんですね?」
「あ……ああああっ!」
メキノオトシゴが口吻を差し込んでそこを強く吸うと、ヤシノオトシゴはからだを強く跳ねさせて、両の瞳から大粒の涙をこぼしました。
「だって、卵が、ほしかったんですよね? おれの方が、からだも育児嚢もおおきいのに、あなたが、産みたいんですよね?」
「……っ……っ…………」
たいせつな、たいせつな二人の子供たち。
もうひとつくらいは、受け入れてくれないだろうか?
メキノオトシゴが、口吻で袋のなかをまさぐり、口に含んだ小石をそっと吐き出すと、ヤシノオトシゴは、またびくりとからだを跳ねさせて、叫んだのでした。

「も……っ……はちきれる……っ…………!」

メキノオトシゴは、ぱんぱんにふくらんだヤシノオトシゴのおなかを、そっと口吻の先で撫でました。
ここまでか。
できれば500匹の子供がほしかったけれど、ヤシノオトシゴは自分よりからだが小さいし、いちどに100匹は難しいのかもしれない。

メキノオトシゴは、まだ口の中に残っていた小石を、そっともとの場所に戻そうとしました。
そのとき、そのメキノオトシゴの口吻に、ヤシノオトシゴの口吻が吸い付いたのです。
「んっ……んんんっ………!」
メキノオトシゴがびっくりしてからだを起こすと、全身をうっすらとピンク色に染めたヤシノオトシゴが、目尻を赤く染めたまま、メキノオトシゴを睨みつけているのでした。
「……それ……よこせよ………おまえの精子……かかってんだろ?」
「矢代さん……」

さっきまで、もう無理、と音を上げていたのに。
卵を捨てるのは、許せない、ということなのでしょうか。
メキノオトシゴは、ヤシノオトシゴが、そうして、この小石に執着を見せてくれたのが嬉しくて、じんわりと微笑みました。
「……はい……。じつは、まだ、おれの腹の中に20個あるんです……。おれが育ててもいいですが……どうしますか?」

 



5. 心音


「矢代さん、今日の体調はいかがですか?」

穏やかな、ほとんど波のこない入江の岩陰に、色とりどりの珊瑚と、やわらかなマユハキモの葉をしきつめたベッドがありました。
その、人魚姫の寝室のような豪華なベッドの上に、ヤシノオトシゴは仰向けにじっと横たわっていました。
なにしろ、百の小石をぱんぱんに詰め込んだお腹が重すぎて、立ち泳ぎはおろか、珊瑚の枝につかまることもできないのです。
あの深海の底で、メキノオトシゴと長い交尾行動を終えたあと、ヤシノオトシゴはもう一歩も動くことができなくなり、そのままメキノオトシゴに抱き抱えられて、海の浅瀬まで戻ってきたのでした。

潮の流れが変わってしまったせいなのか、この海を知らないメキノオトシゴが方向音痴だったのか。
水面まで上がってみれば、そこはヤシノオトシゴが見たこともない、小さな島の入江でした。
空からタツノオトシゴを狙う鳥のすがたもなく、入江の岩場は入り組んでいて、大きな魚も入ってこられません。
メキノオトシゴは、おおいそぎでヤシノオトシゴを寝かせるベッドをつくると、自分はもう少し海の深いところまで潜って、動けないヤシノオトシゴのために、エビや小さなカニをとってくるのでした。

「ん……悪くねぇけど……おまえ、もう、危ねぇ場所には行くなよ? 餌はここでも捕まえられるし、無理にエビやカニをねらわなくても……」
「でも、あなたには、栄養が必要ですから」
「いや……まぁ………」

これが、本当のタマゴなら、たしかにそうなんだけどな。

ヤシノオトシゴは、またこぼれそうになったため息を、無理矢理喉の奥に飲み込みました。
あの海の底から戻って1週間。
メキノオトシゴの語る夢に付き合う、と決めたものの、どこで現実に戻ればいいのか、ヤシノオトシゴは考えあぐねていました。
出産までの3週間がすぎても、何事もおきなければ、その時点でこの幻は終わるのでしょう。
それとも、メキノオトシゴは、今回は運がなかった、と諦めて、また次の幻をみようとするのでしょうか?

……だとすると、おれは今後一生、腹に小石を詰めて、動けずにいるのかもな……。

ヤシノオトシゴは、なんとなく、そんな一生でも悪くないか、と思った自分が可笑しくて、微笑みました。
メキノオトシゴは、その微笑みにぼうっとなり、またたくさん口吻をヤシノオトシゴの口と言わず、頬と言わず、押し付けたのでした。

「おれ、もう一度獲物取りに行ってきます」
「……ん……気をつけろよ」

ヤシノオトシゴは、張り切って泳ぎ出したメキノオトシゴの後ろ姿を見送って、自分の丸くパンパンに膨れたお腹を眺めました。

……歌ってみるか。

そうして、2年ぶりに、おなかの子供たちのための唄を歌いはじめたのでした。

うーたーをーわすれーたー カナリーヤーはー……

 

メキノオトシゴは、遠くから、ヤシノオトシゴの小さな歌声が聴こえるのに気づいて、耳を澄ましました。


唄を忘れた 金糸雀は
うしろの山に 捨てましょか
いえ いえ それは なりませぬ

唄を忘れた 金糸雀は
背戸の小藪に 埋けましょか
いえ いえ それは なりませぬ

唄を忘れた 金糸雀は
柳の鞭で ぶちましょか
いえ いえ それは かわいそう……


メキノオトシゴは、ヤシノオトシゴの唄があまりにも悲しいので、おもわず獲物もとらず大急ぎで戻って、いいました。

「矢代さん、どうしたんですか? とても、悲しい歌詞です……」

ヤシノオトシゴは、さっき出ていったばかりのメキノオトシゴがもう戻ってきたので、少しびっくりして言いました。

「ああ、これな。悲しいか?」
「悲しいです……。『かなりや』が何なのか、おれにはわかりませんが……捨てるとか、埋めるとか、鞭でぶつとか……」
「あー、たしかに、ソレだけきいたら、かなりヤクザだな、この歌詞」

ヤシノオトシゴは、よっこいしょ、と重いからだをメキノオトシゴの方に向けて、くすくすと笑いました。

「金糸雀、てのは、鳥の一種だ。海にはいねぇけど……綺麗な声で鳴くんだそうだ。で、この唄は、4番がいいんだよ」

そうして、ヤシノオトシゴは、また歌い始めたのでした。


唄を忘れた 金糸雀は
象牙の船に 銀の櫂
月夜の海に 浮かべれば
忘れた唄を おもいだす


「月夜の海………」
「……そ。だから、おれは、この歌はずっと魔法の歌だと思ってた。どんなに悲しいことがあっても、ヤケにならないでじっと我慢して、月の光を浴びれば、きっとうまくいく、って」
「矢代さん……」

メキノオトシゴは、胸がいっぱいになって、それなのにぎゅっと苦しくて、ぽろぽろと涙をこぼしました。
おれは、このひとが、大好きだ。
このひとのほかには、もう、なにもいらない。

「なんだよ……泣いてんのかよ」
「はい……だいすきです、矢代さん」
「……ハナミズ、出てんぞ」
「今晩、月がでたら、もっと浅瀬に行きましょう。そこで、あなたの唄をききたいです」


それから、メキノオトシゴは、月が綺麗な夜には、ヤシノオトシゴのからだを大事にかかえて、入江のいちばん水の透き通った浅瀬につれていくようになりました。
そんな夜には、二匹は、まっしろい月のひかりを全身にあびて、ぴったりとからだをよりそわせ、朝がくるまでお互いの心音をきいているのでした。
メキノオトシゴの心音は、すこしゆっくりで、力強くて、ヤシノオトシゴは、いつまで聴いていても飽きない、と、とてもしあわせな気持ちになるのでした。

それは、おおきなまんまるい丸い月が、南の空たかくのぼった、満月の夜のことでした。
いつものように、メキノオトシゴの胸に寄り添っていたヤシノオトシゴは、メキノオトシゴの心音とは違う、ちいさな音が聞こえるのに気づきました。
なんの音だろう?
じっと耳をすませば、なんと、その音は、自分のからだの中から聞こえてくるのです。

とく、とく、とく。
とく、とく、とく、とく、とく、とく。

そして、耳をすませるほど、その音はどんどん増えて、ヤシノオトシゴのからだのすみずみにまで、響き渡ったのです。

「………百目鬼!」

ヤシノオトシゴは、ヤシノオトシゴのからだを抱え込んでまどろんでいたメキノオトシゴのからだを、つよくゆすりました。

「……矢代さん……? どうしたんですか?」
「起きろ、このねぼすけ! ……たまごが!」
「……どうしました⁈」
「心音がきこえる! ちょっと中を見てくれ!」

メキノオトシゴは飛び起きると、あわててヤシノオトシゴの袋の口に大きな目を近づけました。
百個のたまごをつめこまれて薄くのびきったヤシノオトシゴのお腹の皮は、月の白い光を透かせて、なかを淡く照らし出していました。
そして、そこには。
ちいさな、ちいさなタツノオトシゴのすがたをした子供たちが百ぴき、ヤシノオトシゴの胎盤につつまれて、すやすやと寝息をたてていたのです。

「………矢代さん! 孵りました、たまごが!」
「うそだろ……夢みてんのか? おれたち……」
「いいえ! きっと、あなたの唄のおかげです! 月の光をあびて、思い出したんですよ、自分達はタマゴだった、って!」

ヤシノオトシゴは、ぼうぜんとして、メキノオトシゴの顔をみつめました。
ほんとうに、あれは、タマゴだったのか。
無防備に、こんな明るい場所で居眠りなんかしていたから、実はもう二人ともサカナのエサになっていて、ここは死んだあとの世界なんじゃないだろうか?
しかし、目と鼻を涙とハナミズでぐちゃぐちゃにしたメキノオトシゴが、ところかまわずヤシノオトシゴのからだを強く吸って痕をつけるので、その甘い痛みで、ヤシノオトシゴは、これがほんとうに起きたことだと知ったのでした。

……そうか。ほんとうに、夢がかなったんだ。

ヤシノオトシゴは、しっかりと自分にからみついて離れない百目鬼の胸に、また耳をよせました。

とくとく、とくとく、とくとく。

さっきまでゆっくりと刻んでいた心音が、いまは、爆発しそうなほど、猛スピードで打っています。
そして、それよりもさらに速く、自分の心臓がどきどきと脈打っているのを、ヤシノオトシゴは知っているのでした。

「百目鬼。……あんがと、な。夢がかなった」

ヤシノオトシゴのちいさな呟きをきいて、メキノオトシゴは、興奮してヤシノオトシゴのからだを吸うのをやめ、その顔を覗き込みました。

「子供をそだてる夢……おれは、あなたなら、きっとできる、とずっと思っていました」
「いいや、ちがう」
「……えっ?」

メキノオトシゴは、びっくりしたように、少しおおきな目を見開きました。

まぁ、そりゃ、そうだよなぁ。
最初は、そう言っていたわけだし。

ヤシノオトシゴは、その鳩が豆鉄砲をくらったようなメキノオトシゴの表情がおかしくて、くすくすと笑いました。

いつのまにか、一番ほしいものが、変わってたんだよ。
おれも、いままで、気づかなかったけどな。

ヤシノオトシゴは、けげんな表情で自分をみつめているメキノオトシゴの口吻を、思い切り音を立てて吸うと、笑っていいました。

「これからも、おまえのそばにいて、もう少し長生きしてもいいかな、って夢だよ。……なんせ、子供、5百匹もこさえなくちゃなんねぇし? 今年中に、ノルマ達成できるかどうかも、怪しいからな」

 

 


1週間後。
まる1日にわたって、腹がいてぇ、と叫びつつ、なんとか百匹の子供たちを海に送り出したヤシノオトシゴは、生まれてきた子供たちがどれもメキノオトシゴとヤシノオトシゴの顔をしているのを見て、なんともいえない表情になったのでした。

「これって……クローン……だよな?」
「……クローン……ですね……」
「繁殖……に、なってんのかねぇ……? 多様性はゼロだよなぁ……ま、俺が死んでも、代わりがいるから、お前が未亡人にならなくて済む、って利点はあるか?」
「それはないです」

メキノオトシゴは、まだ名残惜しげにヤシノオトシゴの袋にしがみつこうとしている、自分にそっくりの子供の一匹を口に含むと、ぷっ、とそれを海の向こうに吐き出して、いいました。

「おれの最愛のひとは、今、目の前にいるあなただけです。だから、あなたには、もっともっと長生きしてもらわないと困ります。さしあたり、今日の午前中はおれがご馳走をたくさんとってきますから、それをしっかり食べて、夕方から、また卵をとりに行きましょう」
「げっ……マジかよ……!」
「はやくしないと、あと4回出産する前に冬がきてしまいますから。繁殖シーズンが終わるまでは、休む暇はありませんよ?」

 

 

 

こうして、ちいさな島の入江は、その夏がおわるまえに、たくさんのヤシノオトシゴとメキノオトシゴでいっぱいになったのでした。
たくさんのエビやカニをまいにち食べたおかげで、ヤシノオトシゴのからだはすっかり若返り、二匹はその次の年も、またその次の年も、幸せに末長く暮らしました。


だから、その島を訪れたなら、波打ち際で、耳をすませてみてください。
ちいさな、ちいさな、ヤシノオトシゴがかける魔法の唄が、きっと聞こえるでしょうから。

 

 

 

6. エピローグ

 

「……いや……なんつーか……もう、どっからコメントしていいのかわかんねぇんだけど………」
「……だめ、ですか?」
「いや、ダメじゃねぇよ? 葵チャンの絵も可愛いし? でもなんで、ヤシノオトシゴとメキノオトシゴ?」
「ああ、それは、……最初は普通に、ヒメタツとオオウミウマ、で書いてたんですが、それでは子供に受けないと……それで、急遽名前を」
「待て、葵チャン、こんなエロ小説、子供向けの本にするつもりなのかよ⁈」


矢代姫は、湯上りの熱ったからだをバスローブに包んだ姿のままで、手にした数枚のコピー紙と、すっかりやつれた様子の百目鬼を交互に眺めました。
百目鬼は、この1週間ほど、妹の葵が監修する子供向けの本の物語を執筆していて、矢代姫が眠るこのベッドルームにも姿を見せませんでした。
このトーヘンボクに、童話なんて書けるのかねぇ。
そう思っていたのですが、百目鬼は、矢代姫が見たことも聞いたこともないような、タツノオトシゴ(♂)のカップルの話を書いてきたのです。

「なんかこのへんの浅瀬に、やたらヒメタツとオオウミウマが多いワケを、それとなーくイーアスに知らせる内容になってんのは、いいと思うけどな……」
「あの小石のことを、何とか人魚たちに伝える方法はないか、とあなたが言っていたので、物語に紛れ込ませばいいか、と思ったんです。……あれが大昔の魔女が遺した産物だとすれば、俺たちが思う以上に、このあたりの海はまだ太古の魔法を維持できている、と思っていいんでしょうか?」
「まぁ、あれが未知の生物って線もあるから、なんとも言えねぇけどな。今わかってんのは、あの石原を中心に、クローンが増えてるってだけだし。でも、俺の鱗みたいなチートなアイテムもアリだったんだから、海洋生物の願望を叶える、みたいな魔法が他にもあってもおかしくはねぇだろ」

百目鬼と矢代姫は、かつては人魚だったので、少しの時間なら深い海の底まで潜ることができます。
それで、人間との交易に使える海洋資源を探していたときに、不思議な性質をもつ小石を発見したのでした。

「俺が逃げちまって、国を守る魔法がまた一つ消えたのは事実だから、あれがもし魔法の産物なら、使わねぇ手はねぇよ。殆どのヤツにはただのエロい童話だろうが、三角さんなら多分気づく。……いや、待てよ? もう少し、わかりやすくハッキリしたメッセージにしてやろうか?」

矢代姫は、急に愉しそうな表情になると、赤ペンを取り出して、原稿用紙にあちらこちら、なにやら書き込み始めました。
百目鬼が、床に落ちた原稿用紙の一枚を拾い上げてみると、そこには、もとの文章を二重線で消した上に、こう書いてありました。

『おれは、メキノオトシゴ、長いので皆おれのことを百目鬼と呼んでます』

「……矢代さん……これ………」
「国を滅ぼそうとした大罪人の名前が出てくりゃ、三角さんも無視できねぇだろ?」
「それはそうかもしれませんが……発禁になりませんか?」
「ならねぇよ。国民には、俺の存在も、お前があの噴火騒ぎの元凶だってことも公表されてねーんだから。これで俺の名前も出せば、三角さんなら確実に、この話が俺たちからのメッセージだと気づくだろ」


矢代姫は、「よし、これで完成」と赤ペンとコピー紙をサイドボードの上に放り出すと、腰掛けていたベッドから立ち上がりました。
ゆるく結ばれたバスローブの紐がはらりと落ち、その下に隠されていた、少し汗ばんだ矢代姫の体があらわになりました。
その白く滑らかな肌に、雲間から顔を出した月の光がおちかかり、百目鬼は急に矢代姫の体が光りだしたように感じて、思わず喉をならしました。

そういえば、もう1週間、矢代さんに触れていない。
あの肌に、思い切り吸い付きたい。

1週間、あまりにも物語に没頭していたせいで、百目鬼の思考はすっかりメキノオトシゴに同調してしまっていました。
百目鬼が、ほとんど無意識に矢代姫の腰を強く引き、お腹とお腹をぴったりくっつけて、まだ湯上がりの香りのする矢代姫の首筋を強く吸い上げようとしたその時。
突然、矢代姫が、百目鬼の首に申し訳程度にぶら下がっていたネクタイを強く引っ張ったのです。

「……矢代さん⁈」
「イイ感じにサカってるとこ悪いけど。お前さ、あのエロシーン、なに? お前の、願望?」
「……っ……それは…………」
「ヒメタツのオスのエロい出産現場見て、この俺にも、お前の子供産んで欲しい、とか思っちゃったワケ?」
「や……しろさん……くるしい…………です……っ……!」
「だよなぁ〜? 俺も百匹も子供孕ませられたら苦しいと思うわ〜? しかも80でギブしてんのに、結局オマエ100個つめこんだんだよな? な、オマエって、サドの気もあんの?」

いえ、あれは、あくまで、ヤシノオトシゴとメキノオトシゴの話であって!
その名前を「矢代」と「百目鬼」にしたのは、あなたなんですが⁈

百目鬼はそう思いましたが、つい夜半に妄想が爆発したのは事実なので、素直に謝ろうとしました。
「す……すみま…………‼︎」
「なんだよ、上等じゃねぇの。それならそうと、さっさと言えよ」

百目鬼は、びっくりして、矢代姫の腕に逆らうのをやめてしまいました。
と、その次の瞬間、矢代姫が百目鬼のネクタイを掴んだままベッドにダイブしたので、百目鬼はそのまま矢代姫の体の上に倒れ込んでしまいました。

「……なあ、子供百匹、孕ませてみろよ。……まさか、タツノオトシゴより弱ぇとか、言わねえよな?」

百目鬼は、矢代姫の瞳が、月明かりを受けてきらきらと輝いているのを見ました。
まさか、矢代さんも、同じ気持ちだったんだろうか?
実は、あの浅瀬で、しっぽを固く結び合ったオオウミウマとヒメタツの姿を最初に見つめていたのは、矢代姫の方だったのです。

違う種族でも、寿命が違っても、オス同士でも。
ずっと、体を絡め合って、そばにいる。
そんなちいさな生き物が、愛おしくて、少し羨ましくて、百目鬼もまた、目を離せなくなってしまったのでした。

ああ、これは、あの小石と同じだ。
強い願いを込めて、胸に抱けば、願いが叶う魔法の瞳……

「……そうですね、いつか、その時がきたら。でもまずは、あなたがあと百回生きられるくらい注ぎ込んで、あなたの寿命をのばしたいです。……あと、そういうのが好きなら、もう無理、とあなたが音を上げても続けますが……?」

あなたは、少し虐められると、より強く感じる傾向があるみたいだから、と、百目鬼がキスに混ぜてつぶやくと、矢代姫は強く両足を百目鬼の足に絡ませて、花が開くように笑ったのでした。

「ははっ……いいな、ソレ。」

 

 


Fin.



 

 

 

 

あとがき。

この話の発端は、正月に描いたタツノオトシゴのイラストでした。
辰年、といっても、龍を描く技量も時間もなかったので(笑)安直にタツノオトシゴにしておこう、と資料を調べ始めたら、なんじゃこりゃリアルオメガバースじゃん!!! と(笑)

タツノオトシゴはオスが卵を抱える袋を持っている、というのは以前から知っていたのですが、まさか胎盤までつくり、胚と栄養や老廃物のやりとりをし、出産(?)時には袋を収縮させるためにオキシトシンが出る、とまでは知らなかったのですよ…。オキシトシンは人間が出産時に子宮を収縮させるときにも出ているホルモンで、ぶっちゃけ、魚に痛覚があれば、オスが陣痛を感じる、というとんでもない話になります(笑)。
(ここで見た https://biome.co.jp/biome_blog_284/

さすがに、こんな不思議な生殖をする魚は、タツノオトシゴだけらしい。
あと、一度つがいになったら一生ペアがかわらないとか、毎日愛の絆を確かめるために恋のダンスを踊るとか、実は泳ぐ速度が遅すぎてギネスに載ってるとか、尻尾をお互いに絡ませてお腹同士をくっつける交尾の形が❤️に見えるとか、ペアが固定されているせいで、乱獲で一方がいなくなると、残った方もなかなか生殖活動に復帰できないのが数の激減の理由の一端とか、もうネタにしなければバチがあたる、ってくらいオイシイ話ばかりで、こりゃもうタツノオトシゴBLを書くしかない! と思ったのが、1月の上旬でした。

しかし、1月の夜カフェのお題は「髪」だったので、タツノオトシゴに髪はねぇだろ、じゃあ2月の「心音」合わせにして、お腹のかわりに胸くっつけてる絵でも描いて、アホアホなタツノオトシゴBLのカバー絵にでもしようかと、ラフだけ描いて放っておいたんですね。
そしたら、なんと、56話チラ見せであの衝撃のコマが😂
いや、1月の夜カフェに出さなくてほんとによかった!!!😂

というわけで、もういっそ、56話オマージュ的な話にしちまってもいいか、と開き直り、最後のセリフがアレになりました…(笑)パクリではなくオマージュのつもりです! てことで、広ーいお心でお許しいただければ幸いです😅


最後のエピローグは、「ねむりひめ」しらん方にはなんじゃこりゃ、の内容だと思いますので、4章までで終わりと思っていただければ幸いです😅。
ねむりひめの方も見てもイイヨ、と言っていただける方は、こちらにサンプルがあります。
https://www.pixiv.net/novel/series/9394972
(すみません、まだ在庫あるので全編公開はしてません😅 boothで通販してますのでよろしかったら❤️)

 

ちなみに、作中に出てきた「歌を忘れたカナリヤ」ですが、成田為三の曲だし、とうの昔にPD(著作権切れてる)と思っていたら、西条八十の歌詞の方はまだ著作権切れてませんでした…😅 というわけで、急遽はてなブログに引っ越しました😅。