Song of the birds

ヨネダコウ先生の「囀る鳥は羽ばたかない」二次創作サイトです。同好の士以外の方は回れ右でお願いします…

真夜中の鳥 7 (矢代)


 

 七

 

 いつのまにか、季節は、もう秋から冬に差し掛かっていた。

 学校から駅に向かう途中の、アカシアの並木道を、二人で、つかず離れずの距離で歩く。

 足元で、風に巻かれた落ち葉が、くるくると回っていた。 

「お前、薬師丸ひろ子、好きなんだな」

 セーラー服と機関銃探偵物語、と、最近影山が渡してくるMDの選曲が偏っているので、今日のラベルを見て、そう言ってやったら、めずらしく影山の赤面顔を拝むことになった。

……悪かったな!」

「いや、別に、悪かねえよ?」

 

 影山からもらったコピーMDは、もう30枚ほどになっていた。

 おかげで、やたら懐メロに詳しくなってしまった。

 周囲は安室奈美恵やら浜崎あゆみやらで沸き立っているのに、二人して80年代の昭和歌謡曲にハマっている。クラスでも、完全に浮いてる。

『お前ら、おっさんくさいな~!』

 茶化す連中に『昭和歌謡曲の良さがわからない可哀想なオマエらに、天啓を与えてやろう!』とペンケースをマイクに見立てて松田聖子ヒットメドレーを歌ってやったら、メチャクチャウケて、他のクラスまで拉致されて宴会芸を披露する羽目になってしまった。

 おかげで、去年のイザコザから向こう、俺と同学年の連中との間にわだかまっていた小さなしこりは、完全に氷解した。

 別に喧嘩したかったわけじゃないから、卒業までに関係が改善したのは、素直に良かったと思う。

 にしても、このディスク交換(ってか、影山が一方的に俺に押し付けてくるだけだが)、いつまで続けるつもりなんだろうか。

 お前、まさか、親父さんのコレクション全部渡してくる気じゃないだろうな?

「そうだ、こないだもらったのに入ってたやつ。荒井由実の「翳りゆく部屋」とか。あれ、綺麗だな! とくに出だしのパイプオルガンが、ゾクゾクする。歌詞は暗いけど」

 お前、結構センチメンタルなの好きだよな、と言ってやったら、また顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。

 

 こいつと過ごせる時間は、あと半年。
 ──少しずつ、終わりが近づいている。

 

 親友、という関係におちついてから、こいつは、俺の前では結構色々な表情を見せるようになった。

 たぶん、それで、よかったんだと思う。

 それが、よかったんだ。

 ……まだ、その言葉に、何も痛みを感じないわけじゃないけれど。

「で、薬師丸ひろ子は?」

……声が……好きだ」

「へぇ……顔じゃなくて、声! ハスキーヴォイスが好みなのか?」

……まあ。……お前は、どうなんだよ? なんか、好きな歌手とかいるのか?」

「うーん、俺? あんま、歌手というより、歌詞かな? メロディとか」

 基本、雑食ですからー、と、笑って返す。これは本当だ。

 影山のMDプレイヤーを借りてから、俺の一人の時間は、音楽漬けになった。

 相変わらず土曜の夜は裏バイトだが、それ以外では、あんまり欲しいとは思わなくなった。

 テープでなくてよかった、と思う。テープだったら、もうとうにヘロヘロになっていただろう。

「で、今日のは……Woman? Wの悲劇? あ、映画の主題歌の?」

「まあ、映画、知らねえんだけどな。でも、曲は綺麗だから。」

「俺も知らね」

「──曲、書いたのは、荒井由実だ。名前変えてるけど」

「へぇ……

 実は知っていたが、とりあえず黙っておいた。

 荒井由実松任谷由実呉田軽穂、と、なんか色々名前があって混乱するが、曲は好きだ。別の歌手が歌ってる曲でも、いいな、と思った曲は大体彼女の曲だったりする。あとは菅野よう子とか。

 

「──矢代」

 ふと、気がつくと、影山が足を止めていた。

 まるでその瞬間を待ち構えていたみたいに、風が強く吹いて、真っ黄色に染まったアカシアの葉が、辺り一面に降り注いだ。

 黄色い吹雪の中に、黒い学ランの影山の姿が、くっきりと浮かび上がっている。

 その光景が、まるで、一枚の絵画みたいで。

 ──なんだ、この、少女漫画みたいな。

 街の喧騒が、遠くに聞こえた。

 

 

……お前、やっぱ、進学しないか? うちに下宿して、うちから、大学に通えばいい。下宿代も食費も、出世払いでいい。──お前にまだ、なりたいものが見つからないなら……一緒に、探さないか?」

 

 

 その、影山の表情が、まっすぐで、まるで遠くの未来を見るようなまなざしで。

 いつものように、ふざけて誤魔化す言葉が、喉の奥で消えた。 

 

 ──一瞬、想像した。

 影山と同じ家に住んで、優しいお袋さんが用意してくれる食卓を囲んで、学校は違うだろうが、また同じ家に帰ってきて。

 その想像が、幸せで、幸せで。

 その光景が眩しくて。

 ──その光の強さの分だけ、心臓に食い込む刃が痛かった。

 

 親友として? 一番近い場所にいて?

 そこから、お前が、誰か別の人生の伴侶を選ぶのを、見守るのか?

 お前のいる家の屋根の下で。

 真夜中に、叫ぶこともできずに。

 息を殺して、朝日が昇るまで、体の熱をやり過ごして。

 

 まったく、無自覚に、残酷な男だよなあ……お前は。

 

 

「──悪ィ。俺、マジで、勉強嫌いなんだわ。卒業までは、親に金出してもらってる手前、やることはやるけど。ようやくあと半年! ってところで、また何年も勉強する気にはなれねぇよ。……でも、誘ってくれて、ありがとな」

 

 

 完全に嘘でもない。勉強は、嫌いとは思わないが、別に好きでもない。大学なんて、勉強が好きな奴が行くところだろう。俺が、影山のお袋さんに負担をかけて、多分借金してまで、行くような場所じゃない。

 だから、大丈夫だ。

 ちゃんと、本気で、そう思っている。

 きっと、影山にも、そう、伝わっている。

 

 影山は、ひとつだけ、大きなため息をついた。そして、また歩き始めた。

 悪いな、影山。

 できれば、お前の望む未来の一部になってやりたいけど。

 ──それだけは、無理だ。

 

 

 

 

 もう行かないで そばにいて
 窓のそばで 腕を組んで
 雪のような星が降るわ
 素敵ね

 もう 愛せないと言うのなら
 友だちでもかまわないわ
 強がってもふるえるのよ
 声が...…

 ああ 時の河を渡る船に
 オールはない 流されてく
 横たわった髪に 胸に
 降りつもるわ 星の破片

 もう 一瞬で燃えつきて
 あとは灰になってもいい
 わがままだと叱らないで
 今は......

 ああ 時の河を渡る船に
 オールはない 流されてく
 やさしい眼で見つめ返す
 二人きりの星降る町

 行かないで そばにいて
 おとなしくしてるから
 せめて朝の陽が射すまで
 ここにいて 眠り顔を
 見ていたいの

 

 

 はは……すごい歌詞だな。

 真夜中に、影山から渡されたMDを聴きながら、思わず笑ってしまった。

 Woman。まさに、それしかない、ってタイトルだ。

 

 時折、考える。

 あいつが言った──お前は女のコだ、と。

 でなきゃ、こんなモノ入らない、こんなに気持ちよくもならない、と。

 自分でも、半分それを信じていた時期があった。

 後ろのあんな場所に突っ込まれて、こんなに気持ちよくなってしまうのだから、自分はきっと何か違う性別なんだろう、と。

 だから、母親は、俺を疎んだのだろう、と。

 今にして思えば、まったく馬鹿馬鹿しいことに。

 

 ──もしも、本当にそうだったなら。

 なにもかもが、正しい場所に収まったんだろうか?

 母親は、いまも家にいて、──ああ、クソ親父には、相変わらず犯されていたかもしれないが。

 それでも、高校で影山に出会って、普通の恋をして。

 いちかばちかでも、自分の気持ちを伝えたいなんて、希うことができたんだろうか。

 

 ただ、女であるという、それだけで。

 こんなにも赤裸々に、胸の内にあるものを、叫んでいいものなのか?

 48本ある染色体のうちの、たった一つが、完全な形をしている、というだけなのに。

 

 それなら、欠けてしまった体で、女のように扱われて、女だと言われ続けて育った人間は、一体どうすればいい………?


 女に、生まれたかったわけじゃない。

 女に、なりたいわけでもない。

 ──ただ、この体では、許されないことが多すぎて。

 声が──どこにも、届かない。


 

 

 

 その日以降、影山は、2度と俺の進学の話をしなかった。

 あれは、たった一度だけ、影山が勇気を振り絞って見せてくれた覚悟だったんだろう。

 バイだ、と打ち明けたあの日の影山の行動の意味を、今の俺はもう知っている。

 親友という、あいつにとって明確な定義を持つ立場に立ってみて初めて、あいつの考えが見えるようになったから。

 あいつは、あのとき、男でも女でもない俺に、恐怖した。

 そして、それは正しい──これは、ちょっと珍しい趣味を持っているだけの、普通の人間の影山に、どうこうできる問題じゃないからだ。

 これ以上踏み込めば、俺を傷つける。あいつは、あのとき、そう判断して、身を引いたのだろう。

 冷静で、的確な判断だった。

 それなのに、あいつは、そのことに、今も罪悪感を感じている。なんとかして、その埋め合わせをしようと、必死になっている。

 

 

 ……もうそろそろ、いいんじゃないか?

 もう、あいつを、解放してやらなければ。

 

 それでも、どうしても、自分からは離れ難くて。

 渡されたMD49枚を数えた頃、卒業の季節がやってきた。

 

 

 

真夜中の鳥 8(矢代)に続く

真夜中の鳥 6(矢代)に戻る