真夜中の鳥 0 (矢代)
今日も、また一歩、足を踏み出して歩く。
今朝も、ここに、生きている。
人と人との間には、適正距離というものがあるらしい。
公衆距離。全くの他人との距離は3m以上。
社会距離。知人や先輩、上司なら1.5m。
個体距離。親しい友人や同僚なら、45cm~1mくらいまで許す。
そして、恋人や家族だけが入れる特別な密接距離が、0~45cm。
8歳の頃、いつのまにか香水の匂いのきつくなった母親と共に帰宅したその男は、出会って3ヶ月もたたないうちに、その適正距離を壊滅的にぶっ壊していった。
子供の適正距離は狭いと言うけれど、俺にとって見知らぬオジさんに過ぎなかったその男が、ゼロどころかマイナスにまでその距離を詰めてきた時、確実に俺の中で何かが壊れたのだと思う。
無理矢理大きく開けられた穴から、自分の中の何かが流れ出ていく。
ニンゲンの形は、うすっぺらい肌色の皮の中に何か黒々としたものが詰まっていて、ようやく柔らかい姿を保っている。
その何かが常に漏れ出ている状態は、まだ右も左もわからない子供でも、底知れない恐怖を感じた。
守ってほしくて、差し伸ばした手は、あっさりと振り払われた。
忙しいのに、まとわりつかないで。
そう言った母の声には、苛立ちの向こうに、かすかな嫌悪が滲んでいたように思う。そのことに気づいたのは、もっとずっと先のことであったけれども。
痛みと恐怖に咽び泣いたのは、最初の3ヶ月くらいだったか。
声を殺して耐えていれば、殴られない。でも、殴られなくても、痛いことに変わりなかった。違うのは、言うことをを聞いていれば、取り敢えず殴り殺されることはない、ということだけだった。
痛いの、好きだろう、と、呪文のようにあいつは囁いた。
お前が可愛いから、こうするんだ、とも。
受け入れてしまえば、楽だと思った。だいたい、痛いということは、まだ自分がここにいるという証拠だ。少なくとも、いつのまにか、自分はなくなって消えていて、実は意識だけが世界に浮遊しているんじゃないか、なんてSF漫画みたいな恐怖に駆られなくていい。
触られて、痛みを感じている間だけは、何かが漏れ落ちる感覚が止まっているように感じた。
まだ、自分はここにいる。
その安堵が欲しくて、気がつけば、抵抗を止めていた。
そうして、いつの間にか、痛みが快楽にすり替わった頃。
母親は、呼んでも俺の方を見なくなった。